鎌倉ちょっと不思議な物語第196回&バガテルop106
鎌倉国宝館では7月12日まで「お釈迦さまの美術」展をやっています。
今回は建長寺の「宝冠釈迦三尊像」や寿福寺の「釈迦三尊十六善神像」などが出品されていますが、私がもっとも惹かれたのは宝戒寺と瑞泉寺の「仏涅槃図」でした。
ご存じのように「仏涅槃図」はお釈迦さまが亡くなるときの様子を描いた絵画ですが、中央に横たわるお釈迦様よりも、その涅槃を嘆き悲しむお弟子たちや隣人たち、とりわけ画面のいちばん手前で身も世もあらぬ風情でのたうちまわっている動物たちの表情にいつものことながら限りなく魅せられます。
牛や馬や鹿はもちろんさまざまな鳥や鶏、矮鶏、魚たち、大きな蛇や象まで地面に転がってウオンウオン泣き叫んでいる。生きとし生けるもののすべてに愛され、親しまれた宗教家の面目が躍如としています。しかも愁嘆場なのになぜかおかしい。時間の流れがとまりが一世一代の名演技をしているような錯覚にとらわれ、まるで一場の大芝居を見ているようです。
ところが同じ偉人でもキリストなんかになるとやたら荘厳かつ近寄りがたい雰囲気になります。ベツレヘムの生誕の折には三人の東方の大博士の周囲に羊や牛などが前足を折ってひざまずいている絵などを見たことがありますが、十字架で磔にされた後、マリアや弟子たちなどの人間以外の存在から涙ながらに哀悼されるという情景はあまり絵画でもお目にかかりません。
ミケランジェロの「ピエタ」対「仏涅槃図」―。
ここに人間第一主義で動植物の生命を軽視する厳格なキリスト教と、天台本覚思想にもとづく「山川草木悉有仏性」「山川草木悉皆成仏」という多義的でゆるい汎神主義をモットーとする仏教との対比を見るのも面白いかもしれません。
「仏涅槃図」のパロディで、あの伊藤若冲が野菜だけを主人公に描いた「果蔬(かそう)涅槃図」などを見せたら、ミケランジェロはなんというでしょうか。
♪人生にはいくつもの締め切りがあると知れ 茫洋
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