ふぁちょん幻論第52回
世界的なファッションデザイナーの三宅一生さんが、先日NYタイムズにこれまで秘していた7歳の時の広島における原爆体験を明らかにしたうえで、米国のオバマ大統領に故郷広島を訪問するように呼びかけたそうです。
三宅さんは、1945年8月6日のヒロシマで母親とともに被爆し、放射線を浴びた母を3年後に亡くしたそうですが、「原爆を生き延びてきたデザイナー」というレッテルを張られるのが嫌でいつもヒロシマに関する質問は避けてきたそうですが、オバマ氏がプラハで核廃絶に触れたことが「自分の中に埋もれていた何かを呼び覚まし、体験者の一人として個人的、倫理的な責任をかつてないほど強く感じるようになった」そうです。
三宅さんは1938年広島県生まれ。63年多摩美大卆。パリとNYで学んだ後70年に三宅デザイン事務所設立。73年からパリコレに参加。98年にはパソコンの指令で特殊な編み機が一体成型の服をつくる仕組みであるA-POC=a piece of clothを藤原大さんと開発しました。
さらに06年10月にはNYのADC賞を受賞。07年4月には東京ミッドタウン内にデザイン&芸術、ものづくりの拠点めざす21_21デザインサイトを開設したこともよく知られています。
しかしなんといってもエポックメイキングだったのは、三宅さんの創作の原点である「一枚の布」の発想から生まれた生地の裁断・縫製がいらないA-POCでしょう。コンピュータであらかじめプログラミングされた編機や織機が、筒状の布をつくりだし、布地を裁断後に縫製するというインタラクティヴで新しい技法は、従来の服づくりの概念を根底からくつがえすもので、残り布などの無駄を少なくするばかりでなく、着る人がフォルムを選択でき、自分の着る服の最終デザインに参加することができるのです。大量生産とカスタム・メードという一見矛盾するように思われる二つの要素が、ハイテク技術とイマジネーションの結合によって見事に融合しているところに大きな特徴があると思います。
ところで三宅さんのこれらの輝かしい活動の原点となったのは、今回の報道と同じく広島における強烈なデザイン体験でした。広島市を象徴する平和大橋「つくる」と西平和大橋「ゆく」の2つの橋の欄干は、有名な建築家イサム・ノグチの設計にかかるものですが、三宅さんは高校時代の行き帰りに「鎮魂と再生」をテーマとするこの「心の橋」を渡りながら、みずからもなにかをつくる人になろうと決意したと語っています。
おそらく若き日の優れたデザインとの出合いこそが、その人の生涯そのものをデザインするのでしょう。
♪欄干の小さきデザイン火と燃えて人も世界も揺り動かしつあり 茫洋
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