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Monday, September 27, 2010

今井彰著「ガラスの巨塔」を読んで

照る日曇る日 第376回

かつてNHKの辣腕ディレクター&プロヂューサーとして「プロジェクトⅩ」などの人気番組を企画制作した人物による実録風小説です。

「プロジェクトⅩ」はその音楽の変態的誤用や仰々しいナレーション、出演者の異様な興奮と突然の涙が気色悪く、一度もラストまで観賞したことはないのですが、著者によれば「НHKの看板番組」として一世を風靡したようです。

私にとっての看板番組は「サラリーマンNEO」「世界街歩き」「アグリーベティ」「なげやりな妻たち」「刑事コロンボ」「ダメージ3」「クラシック音楽番組とCMが入らない映画」「ブラタモリ」などですから、お互いの嗜好には相当の違いがありそうです。

それはともかく、多くの国民の疲弊した精神を鼓舞し、驚異的な視聴率を稼いだだけでなく、あらゆるテレビ賞を総なめし、当時「天皇」と称された権力者会長の庇護を受けて得意の絶頂に立った著者は、一時は次期役員最有力候補と嘱望されたようです。(でも、それがいったいどうしたというんじゃ?)

しかし折悪しく露見したプロヂューサーの製作費横領事件に端を発した聴取料不払い事件が起爆剤になって、天皇会長が辞任を余儀なくされると、それまで順風満帆だった著者の人生は一瞬にして暗転します。局内の反会長派の陰湿ないじめと弾圧に遭遇し、手塩に掛けた「プロジェクトⅩ」も終了となって心身ともにボロボロになった著者はとうとう退社し、根深い私怨のこもったこの本を書くことになるのです。

けれども視点を変えれば、著者のようなケースは私の身近にもざらにある話で、リーマンの栄枯盛衰は世の習い。あなたよりもっとひどい目にあったひとなぞ世間にはいっぱいいます。ただあなたが「天下のNHK」の有名人だったという素材の面白さだけで、「顰蹙を買うのが大好きな出版社の社長」があなたに眼をつけたのでしょう。

それよりも問題は「プロジェクトⅩ」終了の直接の原因となった室井ヶ丘工業高校の
放送内容です。あなたは先方の教師や学校側にだまされたと文句を言っていますが、客観的に見て致命的な誤謬を犯したのはあなたたち制作者側です。
事前のリサーチがいい加減だからこんないかがわしい人物を登場させたのですから、この番組に泥を塗ったのは隗自身なのに、それを棚に上げて学校や校長のせいにし、あまつさえ局内の上司や敵をうだうだあげつらうのは、ジャーナリストにあるまじき醜い振る舞いといえましょう。

本書を一読して驚くのは「みなさまのNHK」内部の魑魅魍魎の跋扈振りです。
1万人を超す社員のうち記者やディレクターなどの報道現場関係者は3千人なのに、事務管理部門が七千人を超えているそうですが、これはちょっと多すぎます。国民からの大切な拠出金を預かりながら、彼らは一体どういう仕事をしているのかとても気になりました。

著者の言い分を信じるにしろしないにしろ、「みなさまのNHK」は、この際一度解体して再出発する必要があるのではないでしょうか。



私の好きな女子アナなど大海に漂うアブクのようなものなんだなあNHK 茫洋

Monday, June 22, 2009

アーサー・ペン監督の「アリスのレストラン」を見て

アーサー・ペン監督の「アリスのレストラン」を見て

闇にまぎれて bowyow cine-archives vol. 5 

原作と主演はフォーク歌手のアーロ・ガスリー。彼のヒット曲Alice's Restaurant Massacreを題材にしてアーサー・ペンが二度と帰らぬ青春の想い出を歌いあげました。

ギター、ハモニカ、バンジョー、フォークミュージック、マリファナ、ダンス、セックス、オートバイ、キリスト教会……、ベトナム戦争に行きたくないフォーク音楽好きの長髪のアメリカの青年が振り返る60年代には、やはり現代とは違う風が吹いていました。

それを自由と放浪への誘いの風と呼ぶか、法と秩序を揺さぶる不埒で放恣な逸脱の邪風と舌打ちするかは、人がこの時代をどのように生きたかによって受け止め方が違うでしょう。しかし若者を名状しがたい不安と理由もない希望に駆り立てる荒々しい風が全世界でふきつのっていましたが、この映画の中ではまぎれもなくその風が吹いていることをあれから40年以上経つのにまざまざと感じ取ることができます。

この政治的対決の時代の疾風怒涛の狂乱のさなかにあって、主人公を支えているのは心を許した女性アリスやヒッピー仲間たち、そして折にふれて彼が奏でるギターの音色です。とりわけアーロ・ガスリーとピートシガーがガスリーの父親が入院しているニューヨークの病院でハモる「♪自動車で行こう」の楽しさをなににたとえればいいのでしょうか。

この音楽とこの音楽に聴きほれるガスリーの両親の笑顔の中にこの映画の最上のシーンがあります。たとえラストシーンの編集に奇妙な躊躇と失敗があるとはいえ。

Thursday, May 07, 2009

サラ金CMに出演するタレントたち

広告戯評 第1回

サラ金の広告というのは、さまざまな規制もあるので、これまでその表現も露出も、多少とも遠慮がちのところがあったような気がします。やはり仕事が仕事ですし、かつて暴力団まがいの強引な取り立てを行ってお役所から営業停止をくらった会社もありましたね。

こういう会社の社長も社員の方も、天下の正業とはいえなんとなく世間に後ろめたい気持ちを少しは心の中に懐いておられるのではないかと推察している次第です。

また、おそらくこういう気持ちは、広告主や広告代理店から指名されればそれがどんな企業、どんなブランドであろうといそいそと馳せ参じる芸能人やタレントさんの心のなかだってあったに違いないのですが、多少イメージダウンになっても結局出てしまうのはやはりギャラ欲しさということでよかったでしょうか、井上和香さん。

元阪神タイガースの江本さんや女優の内田有紀さんも、やはりお金目当てではないのだろうかと下種の勘ぐりをしてしまうのは私だけでしょうか。しかしながら最近あのタモリさんまでが堂々と出演されておるのはいかなる風の吹きまわしにとるものでしょうか。お金などはうなるほどお持ちでしょうに。みしかするとあれはタモリの偽物かも。

それにしても内田有紀さんの衣装はなにやらとってつけたような風俗嬢風でして、その時代錯誤性が際だっているのは、このCMに賭けたスタイリストの時代批評精神のあらわれだったのでしょうか。


♪朝比奈の峠の上の浦島草に小便掛けし憲法記念日 茫洋

Monday, February 09, 2009

滋味ある演出

バガテルop88

なぜだか最近NHKと仲良くしている富士テレビが、「風のガーデン」に続けて山田太一脚本の「ありふれた奇跡」というドラマをやっている。自殺未遂の三人の男女を中心に展開する愛のドラマだが、前回は脇役の二人の女性の間でこんなシーンがあった。

ヒロインの母親役の戸田恵子が(女装趣味に走ったりしている夫にあきたらず)不倫に走ったが無残なまでに振り棄てられて落ち込んでいる。そこへ姑の八千草薫がウイスキー片手にやってきて慰める。

「まあまあそんなに落ち込んでかわいそうに。でもねえ、私もあなたくらいの年ごろの時にもう死んでしまおうと思ったことがあるのよ、あなたとは理由が違うんだけど」というような前置きがあって、彼女はいい歳をした家庭の主婦が亭主とは別の男に真剣に恋した話を淡々と語る。

俄然全身が耳になった嫁が、「まあ、お母様のような大人しい方にそんなことがあったなんて」と驚いていると、八千草薫が「でもあの男はよくなかった。やめておいてよかった。それが正解だったのよね」とさらりというのだが、その時遅く、かの時早く、戸田恵子は義母のその告白が嫁の行状の全てを鋭く見抜いたうえでの「お話」であることに気づいて愕然とするのである。

こういうさりげないけれども人間の心肝を寒からしめる「ありふれた奇跡の一瞬」こそ山田太一の真価であり、最近の若い脚本家にはなかなか真似ができない境地なのだろう。


長男と泉水屋にて京急バスの回数券買う楽しき日曜 茫洋

Monday, March 31, 2008

ジャパンちゃちゃちゃ

ふあっちょん幻論第18回 20世紀の10大トレンドその10「ジャパニーズデザイン」

20世紀のアパレル・デザインに対して日本人のデザイナーたちは大きく貢献するとともに
世界のファッションの中心軸を、アジアのほうへ拡散させた。

        60年代 森英恵 NY進出
        70年  高田賢三 パリデビュー 70年代はじめ 一生、カンサイ
             デコントラクテ/ジャポニズム
        74年  一生 「一枚の布」 <間> レイヤード、オーバーサイズ
        82年  川久保玲 山本耀司のパリコレデビュー。
             東洋アジア主義の服、無装飾 ぼろルックの衝撃
        85年  ジャパニーズパワー 全盛
        80年末 一生 プリーツ 
        97年  川久保玲「ボディ・ミーツ・ドレス」
        99年  一生A-POC 「世界服の創造」東洋西洋の域を超えて中心の拡散に挑戦
        00年代 数多くの新人デザイナーたち

「一生のプリーツは伝統建築工芸である」、と太鼓奏者の林英哲は語る。
石垣、石畳、石段、なまこ壁、瓦屋根、垂木、格子戸。布の襞が繰り返す反復の造型は古い町並みの静けさや詩情、流れる水や風を感じさせる。
 糸が織り成す反復造型で布地を織る作業には、ビートや時間が含まれる。それが畳まれてプリーツになり、身にまとって衣服になる。
「だが単なる衣服を越え、建築のように時間や空間や思想をも内在させた独立した造型になっている」「持ち運びのできる建築」「身に纏う思索」それが三宅一生の本質である。
 というのはいささか褒めすぎの感もあるが、一生以降革新的な日本人デザイナーが登場していないことも事実であろう。

 21世紀は、このような過去のビッグネームに依存したり期待せずに、「ジャパン・クール」などの切り口で日本の独自性を編集したり、東京ガールズコレクションのようなカジュアルセンスを海外に発信すること、あるいはまた創造性の枯渇にあえぐ「日本」自体をいっそ見切ってBRICs、韓国、ベトナムなどの新興勢力とともに新しいビジネスモデルを構築する方向性をめざすべきであろう。


*なお本シリーズは「深井晃子氏&京都服飾文化研究財団レポート」を参考にさせていただきました。


♪一夜にして百花落ち一朝にして百花咲けり 亡羊

Tuesday, February 12, 2008

続・元コピーライター、かく語りき

♪バガテルop42&照る日曇る日第97回

消費者に商品を売る一介のテクノクラートであり、商品の宣伝の召使であるはずの広告文案作成屋が、なにを勘違いしたのか社長に代わっておのれの個人的な思想や感慨を語りはじめ、天下の公器を私物化し、あまつさえ1行のコピーが時代や世の中を変える、などと錯覚し、ドンキホーテのように奇怪な妄想にうつつを抜かしはじめたのである。彼ら自身は無自覚であったが、「欲しがりません勝つまでは」という名コピーを書いて文字通り一世を風靡した才人をひそかに目指していたのかもしれない。

私自身も含めてコピーライターのみならずほんらい怜悧であるはずの日本資本主義もまたここで大きな勘違いをしてしまった。思えばここがいわゆるコピーライターブームの出発点であり、後続するバブル時代の幕開けだったのではないだろうか。まことに思い出しただけで吐き気がするほど苦しく、また悶絶的に楽しい戯作家の虚業全盛時代でもあった。

それにしてもあるかなきかの微細な商品の独自性、優位性、セールスポイントをむりやり「発見」し、それに対して針小膨大な「付加価値」をでっちあげ、おのれの才覚にまかせて恣意的なお化粧を施し、無理やり消費者の欲望を喚起させるこの仕事は、いかに身過ぎ世過ぎとはいえ本質的には良心に恥じ、人倫に悖る作業であり、内心忸怩たる因業な課業でもある。

この賎業への加担を逃れ、因果の悪連鎖を逃れるためには、広告の現場からとく立ち去って生産現場に駆けつけ、本当に消費者のためになる画期的な製品をみずからの手で生産し、しかるのちに広告宣伝に立ち戻るか、あるいは目の前の劣悪で凡庸な商品に眼をつぶって、消費者にその本質を気づかせないような呪文や幻惑や目潰しをあびせ続けるか、あるいは誰にも評価されず注文が来なくとも、誠実で正直なコピーをほそぼそと書き続けるか、はたまた「自分が幸福ではないのに幸福なコピーは書けない」と遺言して1973年に自死した杉山登志の道を選ぶか、のいずれかしかないだろう。

そしてそのあまりにも美しすぎる呪文のひとつが、昨日挙げた秋山氏の「ただ一度のものが、僕は好きだ」という“感動的な”コピーだったのではないか、と私は今にして振り返るのである。

バブルは無残にはじけ、毎晩銀座のバーを肩で風切って闊歩しながら飲み歩く流行作家気取りのかっこいいコピーライターは1匹残らず絶滅した。時代はコピーライターのものから、スタイリスト、フォトグラファー、そしてプランナー、デザイナー、アートディレクター、マーチャンダイザーの覇権へとめまぐるしく変遷し、グッチやルイ・ヴィトンなど外資系ラグジュアリーブランドの広告では、いっさいの広告コピーを廃し、画像とロゴとURLだけで構成するのがいっそおしゃれであるという流儀が定着して久しい。

茫茫30年。制作費が厳しく削減され、広告宣伝の玄妙な秘法など糞喰らえのクライアントの強権が問答無用で復活し、なんの教養もないど素人コピーライターによって携帯メールで殴り書かかれた風情も工夫も含蓄もない超即物的かつ短絡的なへたくそコピー全盛の現在が、むしろ健全でいっそ小気味よい光景と映るのは果たして私だけだろうか。


♪篤姫を見てもすぐに涙出るこの安物の私の眼球 亡羊

Sunday, February 10, 2008

DVDには寿命がある!?

♪バガテルop40

9日の旭日新聞の夕刊トップに「DVDディスク寿命格差」という大見出しで、いま使われているDVDディスクの中には数年で劣化してデータを読み出せなくなるかもしれないと警告する記事が出ていた。DVDディスクなら孫子の代まで大丈夫と思っていたのに1年で映像が消えうせる例も多々あるという。

国内ブランドの一部は半永久的に保存できる優良製品もあるようだが、私が愛用している1枚30円から40円の台湾製は、実験前からエラーが多すぎて寿命の推定が不可能という劣悪品が多いそうだ。そういうこともあるかもしれないと漠然と考えていたが、実験結果をこのように露骨に突きつけられるとはたと頭を抱え込んでしまう。

私は前にもここで書いたように、NHKBSで放映されるすべての映画とクラシック音楽、歌舞伎などの新旧演劇番組を連日DVDディスクに録画してきた。1日にたかだか4番組くらいだが、それが毎日毎日何年にもわたるとおびただしい数量となり、私のような恒産なき流浪のルンペン・プロレタリアートには1枚100円以上もする国内盤はいくら品質が優れているとはいえ経済的に負担がかかりすぎる。

よって超安価な台湾製のあれやこれやをためつすがめつ大量に買い込むことになる。ところが100枚2300円のお買い得を買ったはいいけれど、それがちゃんと録画できないこともよくあり、これまでいくど痛い目に遭ったか分からない。例えばZEROは人気の台湾ブランドでそこそこ品質もよく、値段も安いので愛用していたが、ある時期から工場だか規格が変わったらしく、私のレコーダーがいっさい受け付けなくなってしまった。

やむなくPRO-FEELブランドに転向しそれなりに満足していたら、突然この製品が冷凍餃子のように市中に出回らなくなってしまった。そこでようやく超破格値のFINEブランドに切り替えたところ、この16倍速がそれこそ早い・安い・美味いの3拍子が揃っているのでやれやれと安心していた矢先に旭日新聞の記事である。

もし私にお金があったらもちろん国産を買うだろう。しかし国産といっても三菱のように台湾の工場に委託しているものも多く、純台湾製ほど多くはないがけっこうトラブルも生じるから始末におえない。

コストの問題以上に問題なのは収納スペースだ。私の狭い書斎はすでに無数の書籍群とLPレコード、カセットテープ、ビデオテープの大群に加えてかの「あほばかレーザーディスク」まで捨てるに捨てられない状態で死蔵されている。これに加えて日夜増殖を遂げつつある膨大なDVD! 過大な加重に耐え切れず部屋の土台が崩れ去る日も近い。

それにしても、と私は考える。どんどん膨れ上がるこの膨大なソフトを、果たして私は生きているうちに鑑賞できるのだろうか?

全山の緑を剥がしてことごとく墓に変えしは堤義明
堤氏が山を毀ちて築きたる墓に眠れる義父と叔父かも
いち早くその白き墓購いて父叔父葬りし我ら一族

Thursday, November 29, 2007

続・NHKが好き

♪バガテルop30

 昨日NHKには多少の知性があるが、民放にはそれもなくて痴性しかないと暴論を吐いた。しかしそれにはそれなりの原因がある。ドラマにせよ、ニュースにせよ、NHKと民放では制作費のスケール、そして制作費の大元である経営母体の売り上げが違うのである。

例えば民放首位のフジテレビの06年度の総売り上げは5826億、日テレ3436億、テレ朝2511億に対して、NHKは単体でも6432億、これに加えてNHK子会社は2310億の受信料収入予算をもって世間のよいこの皆さんに純良番組を提供している。
だから、その大半が民間企業からのCM収入に依拠している民放が、もしも本気でNHKの大河番組やスペシャル番組に挑んでも、はなから勝てるわけがないのである。

 もしも民放がNHKのような「世のため人のためになる番組?」を真剣につくったとしても、テレビを玩具にしながら自らも資本のペットと化しているあほばか大衆の視聴率は取れないし、取れなければ売り上げが減って会社がつぶれてしまうので、民放はますますあほ馬鹿番組の制作に血道をあげ、かくて我ひとともに文字通りの白痴となって亡国の道を疾走するしか能がないのである。

スポンサーと巨大広告代理店だけが神様である民放には、そもそも表現の自由も真実を追い求めるジャーナリズムもへったくれもはなから存在せず、普通の企業と同様の単なる熱烈な利益追求会社であるにすぎない。その点では、南京虐殺番組ひとつをとっても政府御用達のNHKのほうがまだましなマスメディアである。

聞けば、NHKの番組受信料が高すぎるからもっと安くせよ、と総務省の役人が迫っているようだが、私は年間1.5万円くらい払い続けても構わないからNHKはあまり視聴率を気にせず、いまのままでそれこそ粛々と番組つくりに精出してほしいと思っている。

問題は、あほばか番組に狂奔する民放である。

NHKは有料だが民放は無料だと思っている人がいるかもしれないが、トンでもない。06年度のテレビ広告費2兆円の実態は、すべてトヨタやサントリーや資生堂やソフトバンクなどの大企業の広告宣伝費であり、その膨大な経費の大半は、私たちが購入するカローラやウーロン茶や白つばきや携帯の価格に全額転嫁されている。

では具体的にどれくらいの金額なるのか計算してみよう。
さきほど述べたように06年のテレビ広告費はおよそ2兆円、これをわが国の総所帯数約5000万で割ると1軒当たりおよそ年間4万円を私たちは身銭を切って負担していることになる。ちなみに現在あほ馬鹿民放局は東京だと5局あるから、われらあほ馬鹿視聴者は、1局あたり年間8000円も投じてあほ馬鹿番組の制作に全面協力していることになる!

このように民放のあほばか番組は、私たちのとぼしい財布のお金を原資として、どこの誰とも知れないあほばかプロぢゅーサーとその奴隷的抑圧のくびきにあえぐ低賃金労働者たちがせっせせっせと製作しているのだから、私たち納税者ならぬ第1次スポンサーは、もっと声を大にして彼らの視聴率第1主義と拝金主義、ならびにその非人間性と低俗性と死に至るニヒリズムをテッテ的に攻撃し、「私たちが本当に見たい番組」をつくらせるようにダンコ要求するべきなのである。っっと。

もっとも「その私たち」が本当に見たい番組が、あの「オーラの泉」や「ズバリ!言うわよ」であるならば、それこそ「なにをかいわんや」なのですがね。


♪天高く鳥に告げたり残し柿

Wednesday, November 28, 2007

NHKが好き

♪バガテルop29

私は何を隠そう民放テレビ大嫌い、NHK衛星放送大好き人間である。その理由はいままでさんざん民放テレビで放送される番組、ではなくて、その番組のおまけで放映されるCMをさんざんつくってきたので、もうCMなんか二度と見たくもないからである。

CMのない番組といえばNHKしかない。そこで朝から晩までNHK、特に衛星放送のニュースと大リーグ野球と海外ドキュメンタリーとよいこの童謡とちりとてちんとFMと映画とクラシック番組を鑑賞し、あとの2種類についてはすべて録画してDVDに収めている。
恐らくその大半は墓場の中でゆっくり鑑賞することになるだろうが、それがまあ私の唯一の趣味といえば趣味である。

私はニュースもCMがみだりに乱入しないNHKの、とくに衛星第一放送の定時放送を好む。理由は第一に私の好きな冷たい美貌のひらゆき姫が出てくるからだが、美形の女子アナにかまけているのは民放も同様だから、この点ではあまり大きな違いはない。思えば80年代のテッド・タナーのCNNがこの素敵な悪趣味を先導したのだ。

理由の第二は、NHKが報道価値が高いと彼らなりに判断した価値観の順番にしたがって、つまり重厚軽薄の濃度の順に、それなりの報道人らしい秩序と規律をもって、事実だけをたんたんと普通の日本語でアナウンスするからである。

多くの民放テレビのように、ニュースと娯楽、犬と猫、味噌と糞とを混同したり、脳天を直撃するような金切り声(特にフジテレビの女子アナ)で絶叫したりしないからである。

番組の最中に食事をしたり、セックスしたり(はしないか)、実際にはその場にいないはずの人物の品格皆無の馬鹿笑いが聞こえたり、いったいどこが面白いんだか食えないメニューを美味そうに食うという虚偽を演出してぬか喜んだり、「実食!」などと奇怪で醜い造語を乱発したり、平気で漢字を間違えたり、それを絶対に訂正してお詫びもしなかったり、ナレーションの7割を体言止めにしたりしないからである。

そして第三に画面のレイアウトが、きれいとまでは言わないが、まずは普通でおとなしいからである。民放の白髪3千丈風の扇情的なテロップ、まずい食い物をマイウーとうなり、腹の中では驚いてもいないのに、ウソオーとおどろいて見せ、まともな情報は皆無でもこれでもかこれでもかと羊頭狗肉を叩き売り、朝のテレ朝の時刻表示の人を馬鹿にしているような異様な大きさを見よ!

民放のほとんどの番組は、私のような棺桶に片方の足を突っ込んでいる超保守的視聴者にとっては糞であり、奇体なガジェットであり、空虚なごらくであり、文字通り無意味な、死せる映像と音声の氾濫である。こんなもん全局今日の午後に突然なくなっても、おいらはちっとも構わないぜ。

ではあるが、しかし民放がぜんぜんだめかというとそんなこともなくて(笑)、先日ビートたけしが主演する松本清張原作のテレビドラマ「点と線」を見て、久しぶりに面白かった。

 昔原作を読んだときには1番線から15番線の間に4分間だけ見通せる時間帯があると思っていたのだが、13番線から15番線だというので、それなら40分くらい空白の時間があったのではないかと思ったりしたが、それもやはり私の寄る年波にせなのであろう。

しかし惜しむらくは演出がまるでゆるかった。音楽もおざなりであった。あれだけ制作費を投入するなら、せめて霊界で暇をもてあましているだろう野村芳太郎とか内田吐夢に演出させ、伊福部昭か武満徹に曲をつけさせたかったと思うのは、私だけだろうか。

Saturday, August 25, 2007

「夏の歌」

♪音楽千夜一夜第25回&遥かな昔、遠い所で第19回

毎日ロンドンのロイヤルアルバートホールから生中継されるプロムスを聴いている。

今年7月13日にビエロフラービック指揮BBC響のエルガーとウオルトンに始まった「プロムス07」の終焉は来月の8日。すでに会期の半ばを過ぎ、ようやく秋は近い。

これまで印象に残った演奏は、もラヌクルズの鈴木雅明率いるバッハ・コレギウム・ジャパンのカンタータ、かつての手兵アムステルダム・コンセルトヘボウを見事にドライヴしたベルナルド・ハイテインクのブルックナーの8番、コーリンデービスとヨーロッパユースシンフォニーの演奏、アバド&ルツエルン祝祭管のマーラー、さらに現在世界でもっとも大きな話題を集めているギュスターボ・デュダメル指揮ベネズエラ・ユース・シンフォニーのショスタコ10番&バーンスタイン曲集などであった。

デュダメルはバレンボイムやムーティやアバドやマゼール、それに我が尊敬する吉田秀和氏などがこぞって褒め称えている新進気鋭の第三世界の音楽家である。その鬼神も避ける疾風怒涛の演奏はまことにエネルギッシュで、全身に爽快さがみなぎる体のものであるが、これは往年の小澤の音楽と同じスタイルであり、当初は斬新かつ革命的に耳朶を聾して先物買いが殺到するだろうが、遠からずして逼塞することでしょう。

先般FMで彼らのベートーヴェンやドボ9などを聴いたが、快速楽章の運転は得意とするものの、緩徐楽章の処理をもてあましていて、それが全体的な演奏効果を大きく妨げているように思われた。

むしろ私には職人肌オペラ指揮者ラニクルズが振ったワグナーの「ラインの黄金」のほうが楽しめた。これからまだゲルギエフなど数多くの実力者が登壇するので総合ランキング評価はまだ早すぎるが、これまでのプロムス全公演でベストの快演であった。

プロムスで思い出すのは英国人のときおり熱狂に傾く自然な愛国心の発露であるが、これがわが国や米国のそれとはひとあじ違った独特の風情があり、BBC響による英国国歌の奏楽と斉唱が終った後、満堂の聴衆が手をつなぎ、肩を組んで、自然発生的に例の「蛍の光」をアカペラで合唱するときのしみじみとした感興、そしてその音程の正しさと見事なアンサンブルにはいつも深い感銘を受ける。日本帝国の「君が代」ではこうはいかないだろう。

ところで、夏のイギリス音楽といえばいつも思い出す1本のテレビ映画がある。

ある夏の終わりにNHKが英国の作曲家フレデリック・ディーリアスの伝記ドラマ「夏の歌」を放映したことがあった。晩年梅毒が元で失明したディーリアスを、彼の妻と弟子のエリック・フェンビーがかいがいしく看護するが、その甲斐もなく孤独で我侭な作曲家は亡くなり、彼の死を悼むBBCの追悼番組が放送されるシーンで、このドラマも終る。

BBCのアナウンサーが、「わが国の20世紀を代表する最大の音楽家の死を悼み、彼の代表作をお届けします」と重々しく告げると、あの懐かしい「夏の歌」の管弦楽の序奏が低く奏され、2人は白いレースのカーテンに閉ざされたリビングルームでよよと泣きくづれるのである。

往時茫茫四十年。この夏のドラマを見た夏の日から長い歳月が徒に流れたが、私が死ぬまでにもう一度観たい唯一の番組が、名匠ケン・ラッセル演出のこの音楽ドラマである。

Saturday, May 26, 2007

♪内田光子のモーツアルトの20番

♪音楽千夜一夜第22回


去年の大晦日にベルリンで行われたシルベスターコンサートのヴィデオを今頃になってようやく見た。

ベルリンフィルのシェフがアバドの頃は年に一度のこの演奏をテレビで見るのを楽しみにしていたが、ラトルになってからは初めてである。アバドについて悪口を言う人も多いが、私が嫌いな小澤よりは遥かに優れた指揮者だし、少なくともサイモン坊やに比べたらよほどまともな棒振りである。大患後の最近のルツエルンでの活躍がそれを証明している。

06年12月31日夜の演奏曲目はシュトラウスの「ドンファン」とモーツアルトのピアノ協奏曲20番と同じシュトラウスの「薔薇の騎士」最終幕の大詰めの抜粋(もちろん演奏会形式による)である。

ドンファンは思った以上に凡庸な演奏だし、薔薇の騎士もカラヤンやクライバーの足元にも及ばぬ、味の薄い、とってつけたような演奏だったが、圧巻は内田光子のモーツアルトの演奏だった。彼女がジェフリーテートの指揮でピアノコンチエルトの主要曲を録音したのは聞いていたが、このライブは素晴らしいききものであった。

当夜の内田光子は、見た目も、その内面も、おどろおどろしい女夜叉そのものであった。

序奏が開始されるやいなやピアノのうえで激しく身をよじりながらリズムを刻み、自分のテンポを取る。そしてその激烈なパッションと異様な光を放つ目の輝きと豹のようなすばやい身のこなしでベルリンフィルの面々の耳目をひきつけ、管弦楽の伴奏のイニシアチブをあっという間にラトル坊やから奪ってしまった。

そうしてそのあとは、さながらモーツアルトの再来、音楽の卑弥呼女王と化した光子女帝の生きるか死ぬか、獅子奮迅の真剣勝負のバトルが繰り広げられたのである。

とりわけ第2楽章のはじまりは、満員の聴衆が息をのむような繊細さで、録画録音とはいえ思わず涙腺が緩むのを覚えるほどの素晴らしさであった。

美しくもまた恐ろしい夜叉は、ラトルの頭越しにオーボエ奏者を召還し、甘美な愛の対話を繰り返しながらあほばかラトルが無神経に鳴らそうとする弦を、その女神アテナイの如き黄金の光る目で射すくめ、最弱音に押さえつけるのだった。

このようにしてモーツアルト・イヤー掉尾を飾る劇性を秘めた小さなオペラの演奏が終ったが、私は当代最高のモーツアルト弾きの演奏の切れ味の鋭さに圧倒されながらも、かのクララ・ハスキルの優美なモーツアルト演奏を懐かしく思い出していたことだった。

Sunday, April 08, 2007

畏るべし、友川カズキ

♪音楽千夜一夜 第18回

土曜日の夜に、NHK-BSの「フォークの達人」で友川カズキという物凄い歌手のうたを聴いた。

友川は1950年に秋田で生まれ、70年代から活躍していた詩人で、画家で、博打打で、歌手でもあるという。眉目秀麗な大酒呑み、だそうだが、一聴一見、とにもかくにも圧倒された。

ありふれた言い方だが、このように己の全存在を1曲に賭け、ギターを叩き付け、殴りつけ、己のはらわたをギターで掴んでは投げ捨て、捨て身の歌唱に生き様を晒すような歌い手が、この平成の御世にも残存していようとは、ああ不覚にも知らなんだ。

もっとも、彼を知らないのは私だけかもしれない。

が、遅すぎたにもせよ、このような魂を直撃する芸能者にようやく巡り合えた感動と喜びを伝えないわけにはいかない。

冒頭の「生きてるって言ってみろ」でショックを受けた私は、アンコールで歌われた中原中也の詩による「坊や」までの全17曲、1時間半の吉祥寺ライブを、ただただ口をあんぐり開き、よだれを垂らし、呆然自失して聴き惚れておりました。

こいつの前では吉田拓郎、三上寛、友部正人、高田渡も到底敵ではない。まさに縄文人の魂の絶唱、絶叫であります。

生の跳躍が、そのまま、息も絶え絶えのうたになる。

歌うも命懸け、聴くも命懸けとは、げにこの人の音楽道であろう。

とても生半可に聞き流せない音楽を、この人はする。大量の焼酎を呷りながらシャウトする。飲まずには生きられぬ、飲まずにはうたえないという一見破滅型ながら東北人特有の図太く粘り強い冷静さも合わせ持っていて、その二重性もまた魅力的である。

「サーカス」、「また来ん春」、「坊や」など中也原作の詩に作曲したものもいいが、自作自演はもっとすごくて、素晴らしい。

「似合った青春」、「夢のラップもういっちょう」「おじっちゃ」の激情、「訳のわからん気持」「乱れドンパン節」のアナーキズム、「ダンス」「ワルツ」の退廃の美……
これを至高の芸術と呼ばずしてなんというのだ! 

石塚俊明、永畑雅人、松井亜由美、金井太郎など、元頭脳警察のメンバーを交えたバックの演奏がまたすごくて、素晴らしい!

NHKさん、またしてもいい死土産を見せていただきました。この放送はおそらく再放送されるだろう。また今すぐならYOUTUBEでもこれらの名曲の一部を視聴することができます。

友川カズキ、断じて逸すべからず!

Wednesday, March 07, 2007

「人生の歩き方」

「人生の歩き方」

あなたと私のアホリズム その12

本さへあればテレビは要らない。とりわけ民放などなくてもいっこうに構わないと思っている私です。

時々見るのはNHKのニュースと映画とドキュメンタリーくらい。

それでも本当にいいなと思える番組はあまりないのですが、最近始まった「人生の歩き方」というトーク番組はなかなかよいです。

第1回は漫画家・歌手の池田理代子さんを黒田アナが、昨夜から始まった第2回は映画監督新藤兼人さんを小野アナがインタビューしています。

ときおり回顧的な記録映像がインサートされますが基本的には主人公のこれまでの人生の歩みをじっくりと聞く番組です。

池田さんという漫画家についてはあのベルバラの作者というくらいしか知らなかった私ですが、彼女の自由で情熱的な生き方をご本人の口からとくとうかがい、静かな感銘を受けました。

特に中年になってから志したソプラノ歌手の恩師である東さんの壮絶な死に方を語ったくだりは、涙なしには聞けませんでした。

また昨夜の新藤監督が亡き母の思い出をこれまた涙ながらに語ったときには、寅さん大好きの小野アナも一緒に泣いておりましたね。

泣くからいい番組と言っているのではありませんよ。

その人の真実に迫り、その人が人生の真実を真面目に語るから、いまどき珍しくいい番組だといっているのです。

ここでは主人公が自分の人生をどこまで開示するか、は、アナウンサーの知性と勇気にかかっているので、そういう意味でも真剣勝負の番組だと思います。

世の中のテレビ番組の大半が、異常なことを異常に表現しようと狂奔する中で、「人生の歩き方」は、普通のことを普通に表現しようと試みている。

それがこの番組の価値を高めているようです。
(毎週水曜日午後10時25分から50分まで)