鎌倉ちょっと不思議な物語第195回
鎌倉駅からほど近いこのお寺は、もとは源頼朝が幕府の守り神として建立し、天台宗系の夷堂があったのですが、永亭8年1436年に日出が日蓮宗のお寺として再建しました。2代目住持の日朝はのちに身延山久遠寺の住持になったとき、そこにあった日蓮の遺骨をこのお寺に分骨したので、本覚寺はそれから「東身延」とも呼ばれるようになった、と「鎌倉の寺小事典」には記してあります。
またその日朝が魔の病気を患った時、法華経とみずからの治癒力で治ったという言い伝えがあるこのお寺は、「日朝さん」と親しまれ、眼病、縁結び、商売繁盛に霊験あらたかとされて人気があるそうです。
さらには、松平定信の直筆による「東身延」の額も残っているそうですが、いったいどこにあるのやら。今度行った時によく調べてみましょう。
私が個人的にいちばん興味をひかれるのは、このお寺の墓地に刀工正宗が葬られていること。正宗は、鎌倉時代に当地にあって「相州伝」という特徴を備えた数々の芸術的な名刀を鍛えただけではなく、幾多の弟子として育て上げたことであまねく知られていますが、その名人がこんなお寺に眠っているとは。
ちなみに鎌倉には正宗の子孫と称する日本刀の刀匠が現在も小町の街中で活動中(太刀を打つ現場を観察することもできる)ですし、置石や長谷の商店街には数多くの刀商が営業しています。
♪ミラノスカラ座より帰国せしや平成正宗後継者 茫洋
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