鎌倉ちょっと不思議な物語第192回
扇ヶ谷のどんづまりにある瀟洒なお寺が海蔵寺です。このお寺は四季折々にさまざまな山野草が咲く鎌倉随一の花の寺として有名です。
海蔵寺は応栄元年1394年に鎌倉公方足利氏満の命を受けて、元は真言宗の寺があった跡に上杉氏定が再建しました。開山は謡曲「殺生石」で知られる心昭空外(源翁禅師)です。本殿も立派ですが、古雅な趣を湛えているのが薬師堂で、ここには胎内仏をおさめた薬師如来、別名啼薬師、児護薬師が安置されています。
ある日のこと、寺の裏から赤ん坊の泣き声がするので源翁禅師が声の主を探すと金色と甘い香りが漂う古いお墓がありました。そこで禅師が経を唱えながら掘ってみると、現れ出たのがこの薬師像だった、という言い伝えがあります。ただし胎内仏を拝めるのは61年毎とされているそうです。
それから謡曲「殺生石」では白狐のたたりで殺生をひきおこす石を源翁禅師がえいやっと杖で打ち砕きますが、かなづちを別名「げんのう」と呼ぶのはこの故事から来ているそうです。また江戸時代に建てられた茅葺の庫裏は歴史的な価値が高く、本殿の奥にある心字池と庭園の美しさとともに捨てがたいものがあります。
以上は「鎌倉の寺」(かまくら春秋社)から勝手に引用しました。
玄関に片っぽうだけ転がっている妻の黒い靴 茫洋
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