鎌倉ちょっと不思議な物語第194回
亀が谷切通を下った扇が谷の辻にぽつんと立っているのがこの地蔵堂です。ここに祀られているのは源頼朝・政子の長女大姫の持仏と伝えられています。
大姫は政略結婚で木曽義仲の息子義高と結ばれ、相思相愛の仲だったのですが、源氏同士の勢力争いがはじまって義高は頼朝の命で暗殺され、(政子はそのことに激しく怒ったと「吾妻鏡」に出ています)、愛する夫を奪われた大姫は、哀れにも強度のノイローゼに罹ってしまいます。
娘の愛を引き裂いた張本人の頼朝・政子夫妻は、大姫の回復を念じて夜な夜な浄妙寺の杉本観音から逗子の岩殿寺までの巡礼古道をたどってお百度を踏んだ、といい伝えられています。その由緒ある歴史街道を山ごとブルドーザーで引き裂いて「鎌倉逗子ハイランド」なる高級住宅街をつくって売り出したのが西武堤資本です。
大姫はその病気を案じた畠山重忠の屋敷(現在の八幡宮の東端)で療養したり、義経の愛妾静御前をいたわったりしていましたが、とうとうわずか20歳で窮死してしまいました。昔の岩船地蔵堂は木造のぼろぼろの状態で、それが薄幸の身の上の女性にふさわしい一種の物凄く、荒涼とした感じを界隈に漂わせていたのですが、いつのまにかモダーンな感じに再建されてしまいました。
余談ながらこの近所には島木健作や小林秀雄、里見弴などが住んでいて亀が谷切通の坂上にあった鉱泉に浸かっていたようです。鎌倉に温泉は珍しいのですが、私が住んでいる十二所にもぬるい天然の湯が沸いているところがあります。
凶悪な政治の毒に窮したる二十歳の恋ははかなく散りて 茫洋
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