Wednesday, November 07, 2012

山本薩夫監督の「台風騒動記」を見て




闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.340

杉浦明平のルポルタージュ「台風13号始末記」を原作に山本薩夫がメガフォンをとった1956年の風刺喜劇映画です。佐田啓二、菅原謙次、佐野周二、野添ひとみ、桂木洋子、渡辺篤、藤間紫などが続々出演しているが、わたしが高く評価する三島雅夫のいやらしさが光っているな。

台風の被害よりもその後の人災のほうが被害甚大であるという紋切り型のテーマをどんと据えて、老朽化した小学校の校舎を台風で倒壊したことにして公金を流用しようとたくらんだ地元の政治家や町長や校長や教員や住民たちの奮闘努力と右往左往を巨匠?山本が生真面目に描いておる。

されど原作者と監督の思想傾向がはなからマッチし過ぎており、終始力が入り過ぎ、コメディ特有の軽妙さに欠ける。こういうのはもっと軽薄なタッチで演出してもらいたがこのメンバーでは所詮ないものねだりなのだろう。

野田橋下安倍石破慎太郎どいつもこいつも消えて無くなれ 蝶人

Tuesday, November 06, 2012

伊藤大輔監督の「王将」を見て




闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.339

関西を代表する坂田、関東を代表する関根が将棋名人を争う名勝負物語。前者は赤貧洗うが如き陋屋の教養なき素人将棋気違い。後者は白哲の富めるジェントルメンと双方の来歴とキャラクターの対比が歴然としていて面白い。

やっさもっさとエピソードが続き、最後に関根の名人位就任を祝いに東京へ出かけた坂田だったが、危篤に陥った女房の小春を救おうと電話で大声で南無妙法蓮華経を唱えるという演出はあざとい。

練炭で三人自殺したアパートをライトブルーに塗っているペンキ屋さん 蝶人

Monday, November 05, 2012

福田晴一監督の「二等兵物語」を見て




闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.338

伴淳三郎と花菱アチャコの二等兵物語。かれらの悲惨な軍隊生活を通じて反戦を訴えようとしている。

陸軍の兵舎に女性が訪ねてきたり、子供を便所に何日も隠したりできるとも思えないが、そういうことを平気で描いている本作のハイライトは、上官のいじめと虐待と暴力に頭に来た伴淳が、敗戦となって醜い振舞いをする彼らを機関銃で脅しながら、その非を鳴らす大演説をぶつシーンである。

そこでは理不尽な暴力と恐怖で強制的に部下を従属させるのではなく、愛と友情と協同にもとづく愛国的な軍隊組織のヴィジョンが語られるのだが、声涙俱に下りすぎてお涙頂戴の上官の告白まで飛び出す脚本はかえってよろしくなかった。

それにしてもこの映画で描かれたような帝国陸軍軍隊の非人間性は、日本人の最悪の側面であり、その遺伝子はいまなお現行の軍隊組織と我等の精神に生きながらえているのだろう。

左側にハンドルを切り高速を墜ちゆくときの軽き眩暈 蝶人

Sunday, November 04, 2012

鎌倉国宝館で「古都鎌倉と武家文化」展を見て




茫洋物見遊山記第95回 & 鎌倉ちょっと不思議な物語第265回

武士たちの信仰と美術と副題されたこの展覧会ではいま非常な話題になっている源頼朝の座像ふたつが展示されていて興味深い。ひとつは従来頼朝のものとされていた国立博物館蔵、もうひとつは最近の研究でこれぞ真の頼朝像と認定されつつある山梨県善光寺の座像である。

 いずれも鎌倉時代13、14世紀の製作にかかる木造であるが、前者は日本中世史が専門の黒田日出男氏などの研究をつうじて足利尊氏の弟、直義のものであるとされるようになったのである。

 いずれもいかにも鎌倉の武士の棟梁らしい風格と権威にみちた風貌をよく伝えているが、前者はより精悍であり後者は功なり名を遂げた晩年の老成し達成した長者の趣がよく体現されている。これをもし同一人物の年代別の座像といえばそう思えるし、いな全く別人の足利直義その人であるぞよと言われればそうかもしれないという気がしてくるから素人は困ったものである。

 いずれにしても一代の風雲児と呼ばれるにふさわしいたたずまいに打たれ、私はしばらく2つの像を見比べていたが、会場を出しなに北条高時筆の紙本墨書「南山士雲像」が飾られているのが目にとまった。高時は闘犬にうつつを抜かした北条政権最後のアホ馬鹿執権として知られているが、その墨蹟の品が下がるのはともかく、彼が師事した南山士雲を描くまるで中村不折のような近代的な筆致に驚いたことであった。

 *本展は12月2日まで八幡宮境内の国宝館にて開催されています。

*黒田日出男氏の研究については→http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1747942158&owner_id=5501094


純白のヨットのように走り去る4173湘南ナンバー 蝶人

Saturday, November 03, 2012

アンジェイ・ワイダ監督の「ダントン」を見て



闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.337

ダントンといえば「大胆に! もっと大胆に!常に大胆に!」という大革命時代のアジテーションが有名で、それから凡そ200年後のアジアの片隅でひとりの臆病な学生だった私も、この革命家の偉大な格言を思い出しては権力の暴力装置の前に痩せた肉体を晒しつつ吶喊していったものだった。

アンジェイ・ワイダがこの映画で描いたダントンの最晩年の姿は、他の多くの芸術家と同様愛情と共感に満ちたもので、大革命の中の唯一の楽天と寛容の人と称された豪儀な生き方と死にざまをよく伝えている。

ワイダが描くロベスピエールの姿も、巷間広く流布している冷徹な恐怖政治の独裁者とは一味違っている。彼が追及する革命事業に不可欠な「善人」ダントンとダントン派の親友デムーランを最後まで救おうとするが、彼らの頑なな姿勢がそれを妨げ、結局粛清に踏み切らざるを得なかったというふうに表現しているのだが、史実はそんな甘いものではなかったことを私たちはよく知っている。

ダントン最後の年である1794年には右派のジロンド派が追放されたばかりか、寛容派のダントンも、極左のエベール派も、ジャコバンの首領ロベスピエール自身も、サン・キュロットの同志討ちと内紛の中で自滅していくのである。嗚呼南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏。

今も昔も、共同の遠い凶暴な敵に対するよりも身近なゆるい味方に対する過敏で暴力的な反応を示すのが党派の下衆根性というもので、この事情は大革命から連合赤軍事件に至るまでまったく変わることなき革命家の悪癖であった。

この年のテルミドールのクーデター以降、大革命は当初の目標と理想を失い大混乱に陥るのであるが、ワイダは「もしこのとき2人の英雄が手を結んで共同戦線を展開していたら」という見果てぬ日共的連合戦線の夢想を映画にしてみたかったのだろう。


圧殺の森の下生え紅き色 蝶人

Friday, November 02, 2012

佐藤賢一著「共和国の樹立」を読んで



照る日曇る日第546回

1792年8月10日の蜂起は奇跡的に成功し、ここでサン・キュロット階級は一気に巻き返したが、続く9月は法を無視した虐殺の季節だった。ダントンの演説から始まった反革命派狩りではモッブと化した民衆が敵対的な政治家たちを見境なしに血祭りに上げる。革命とは今も昔も問答無用の敵の殺戮なのである。

その後サン・キュロットたちはやっさもっさの挙句にようやく王制を廃止し、共和制を樹立したものの、国王ルイ16世をどう裁くのかという難問に直面する。有罪だからといって市民ルイ・カペーを死刑に処していいものだろうか、とさすがのダントンやロベスピエールも胸に手を当ててためらうのだ。

そんななか、中庸のジロンド派に押されに押されていたジャコバン派が息を吹き返したのは、田舎者の最年少議員サン・ジュストの「人民の敵であり虐殺者、簒奪者、反逆者である王は仏蘭西に無関係の外国人として即刻裁かれるべし」という洗練されない論理による問答無用のどんくさい演説からだった。

衆寡敵せずというのに、議会で少数派の一議員の名演説が中間派のみならず多数派を論理的に圧倒して公論が逆転するなどわが国では到底考えられないことだが、それが18世紀の仏蘭西では実際に起こったのである。革命の進行過程では、現状を固定せず無理矢理敵に向かって前進しようとする勢力が優位に立つことが多いが、これがまさにその時だった。これ以降ジャコバン派の盟主ロベスピエールさえももはや過激派の暴走をとめることは出来なくなり、革命の本質は日を追って見失われてゆくのである。

 パリ大学医学部教授ジョセフ・イグナス・ギヨタンによって開発された最新式の処刑機械ギロチンによって処刑されてゆくルイ16世の最期の姿はあまりにも痛々しく哀しい。彼は教授に助言して三カ月状の丸いデザインであった刃を鋭い3角形に修正したギロチンで首をはねられたのであった。
 
革命の美名の下に屠られし草莽の民何処へ消えしか 蝶人

Thursday, November 01, 2012

スタンリー・ドーネン監督の「パリの恋人」を見て



闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.336&ふぁっちょん幻論第72回&勝手に建築観光第51回

トップシーンからして不愉快で鼻もちならない映画だ。「ピンクで統一するのよ」と突如思いつくヴォーグ風編集長(実際にこういうアホ馬鹿人間は20年前にも大勢いた)やNYの古書店に事前の許諾なく撮影に押し掛けるアベドン風カメラマンの横暴さに、1957年当時のふぁっちょん業界の肩で風切る偉そうなポジショニングが示されているが、ふぁっちょんが時代の先頭から脱落して後塵を拝するようになるとともに、こういう傍若無人な振る舞いが姿を消したのは同慶に耐えない。

この映画では目にも綾なジバンシーの所謂トップファッション!が続々と登場するが、平成の御代にひそと棲息する我等の目には、それらの華麗な衣装の輪郭があまりにも際立ち、色彩が強烈であることに違和感が先に立つので、これらが名匠による歴史的名品であることを忘れてしまいそうになる。いわば異様な服がまっとうな人間らしさを圧倒して、過剰に自己を主張しているのだ。

完璧なヘアメイクと共に変身したヘプバーンの艶姿よりも、彼女が冒頭の古書店で来ていたシンプルな黒のデイウエアのほうがよほど美しくファニーフェイスの彼女に似合っていることに、当時は誰ひとり気付かなかったのである。

「パリの恋人」以来半世紀が経過し、数多くのデザイナーが数多くの特色を秘めた数多くの服飾の作品を製作し、それはいまなおパリやミラノや東京のコレクションで発表されつづけているが、それらの大半は依然としてこの映画のジバンシーのような「服じゃ服じゃ」という人間無視の異様な服の開発にいそしんでいるのは恐るべきことであり嘆かわしいことでもある。

近代の洋服は人間の美や機能に奉仕しようと闡明しながら、結局は人間の個性を覆い尽くす結果に終わった。あくまでも服が主で人が従であった。これに反して現代の優れた洋服は服の主張を放棄して、あくまでも人間の自己主張に異なって奉仕しようとする。人間の自由のためには、服は服としての主張を控え、おのれを溶かし、その姿を消そうとさえすべきなのだ。

「露わな服から、溶ける服、消える服へ」「地上樹ふあっちょんから地下茎ふあっちょんへ」というこの考え方は、最近の建築にも共通している。電通の汐留ビルを設計したジャン・ヌーヴェルのコンセプトは「見えない建築」であるし、実際に2012年のベネチア国際建築展では触れれば崩れる脆い建築がグランプリを獲得したように、平成末期のふあっちょんもそのように「自己否定的に自己の存在意義を訴える」ようなスタイルに急速に変遷していくだろう。

そしてこの「全く目立たないようにして目立つ」という常識をふあっちょんの退化や腐敗堕落と受け止めて反発したり、パリコレや東コレなぞで妙にぐあんばってしまう「反動的な」クリエーターやデザイナーたちは、石原や橋下虚妄政治と同様、時代の挟雑物として大衆から早々に忘却されてゆくのであるんであるんであるん。


季語の無き俳句を憎む俳諧師 蝶人

Wednesday, October 31, 2012

新説亜細亜版桃太郎音頭



ある晴れた日に 第117回


一、桃太郎さん 桃太郎さん
海に浮かんだ尖閣竹島
全部わたしに くださいな 

二、やりましょう やりましょう
これから北の征伐に
ついて行くなら あげましょう 

三、行きましょう 行きましょう
あなたについて どこまでも
仲間になって 行きましょう 

四、そりゃ進め そりゃ進め
一度に攻めて攻めやぶり
つぶしてしまえ 北の熊

五、おもしろい おもしろい
のこらず四島攻めふせて
分捕物を えんやらや 

六、万々歳 万々歳
お伴の犬や猿雉子は
勇んで車を えんやらや

七、桃太郎さん 桃太郎さん
これであらかた片付いた
今度は東を攻めましょう


秋の蚊を柔らかく叩いて殺す午後 蝶人

Tuesday, October 30, 2012

西暦2012年神無月 蝶人狂歌三昧



ある晴れた日に 第116回



思い出をひとつ殺してまたひとつ生みだしながら今日も過ぎゆく

究極の幸せとは人に愛され人に褒められ人の役に立ち必要とされること

ここで飛べ1969ウッドストック 飛んだ奴らはどこへ行ったか?

AKBなんてみな同じ顔しょんべんくさいイモねえちゃんばっかり

国産のゴマダラチョウが中国のアカボシゴマダラに駆逐される関東平野

朝っぱらからオオミズアオの幼虫を4匹も殺してしまって気色悪し

脳内にざわめく嵐御しかねてお父さん大嫌いと喚きだしおり

変にいじくってると死んでしまうでしょ自分の歌が

職業に貴賎はなけれど忌むべきは三百代言投資ファンド

弁護士なんて三百代言金の為なら嘘八百

神仏も天皇陛下も無用ですこの世を私が生き抜くために

ほむべきかな もろびとこぞりて称えよ奇跡の夜 こんな演奏を聴けるとは夢にも思わなかった 生きていて良かった 鎌響よありがとう

ためらいも恥も無く色紙に書きなぐるほんにお前はアホ馬鹿文士 

台風で本社を流されしバスに乗り初日170、2日目250、3日目270キロを走破せり

音楽はこれでいいのだヘンデルのアホ馬鹿音頭に陶然となる

「戦争だあ!」と喚く都知事に石原軍団尖閣出撃

一杯の水の中にいるベートーヴェンを飲む

来る朝ごとにブロックフレーテ練習していた小学生いつしか髭のリーマンになりおおせたる

こういう人が母親なら大丈夫だろうと思っていまの家内と結婚しました

クライアントの仕事待つ身は悲しけり朝から晩まで携帯鳴る待つ

けふこそはクライアントの電話あらんか手ぐすね引いて朝から待ちおり

往年の大スタア次々に逝くめれどわが原節子のみ永遠に生くらむ

掌にスマホ握りしめ若者は異界との交信に夢中である

古井由吉撰集パタリと閉じて思う中年男の妄想の凄まじさ

店員は茶髪を黒にして働けり閉店迫りしガソリンスタンド

Go ahead, Make my day!ドラ猫が三毛猫にいきまく真夏の昼下がり

襤褸襤褸の羽根でなお食草を探すアゲハにとって生とは何か

左側にハンドルを切って墜ちてゆくときの軽いめまいと快感よ

刺青は大嫌いだが入れたけりゃ入れよ猫も杓子も

刺青は大嫌いだけど入れたい人は入れなさいここは自由の国だから

今日もまた時給40円の労働に汗を流す子我が子愛しや

異界との通信に夢中なりスマホ族

秋蝉のとぎれとぎれの叫びかな

今生の思いを歌え秋の蝉

秋雨やガソリンスタンド終業す

秋茄子を一袋百円の有り難さ



*今月の童謡 モウモウ牛さんねんねぐー

山にはうぐいすホーホケキョ 

遠いお空に雲ひとつ 

モウモウ牛さんねんねぐー 

父さん母さんそして僕 

みんな揃ってねんねぐー 

アスパラ海を泳いで渡る 

難儀な夢を見ています 

やがて朝寝が終わったら 

モウモウ牛さんミルクを飲んで 

しばらくお昼寝ねんねぐー 

モウモウ牛さんねんねぐー 

すると太鼓がドデスカデン  

みんな揃って大行進 

大きな音で夢からさめた 

山にはカラス クワクワクワ 

遠いお空はあかね色 

あっと言う間に夕方だあ 

モウモウ牛さん霜降り食べて 

家族揃って宵寝する 

モウモウ牛さんねんねぐー 

はてさてこれからどんな夢 

夢は第二のじんせいだ 

大冒険のはじまりだあ 

モウモウ牛さんねんねぐー 

夢を見るのに疲れたら 

時々起きて居眠りしましょう 

モウモウ牛さんねんねぐー 



今朝もまた一輪天青の青を偸しむ 蝶人

Monday, October 29, 2012

ケビン・サリバン監督の「赤毛のアン 新たなる旅立ち」を見て



闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.335

まだまだ続く赤毛のアンちゃんの物語。これはモンゴメリーのフランチャイズ作品だそうで2008年の製作。仕掛け人のケビン・サリバンがこれまでのお話を引き継いだり新しいネタをでっちあげたりして自分勝手なアンちゃんに仕立て上げている。

最初の作品ではアンは寄宿舎に預けられていて、そこからマリラらとマシューの家にやって来たのだが、本作品では別の大金持ちの邸宅に迷い込んでいろいろ苦労しながらけなげに成長していくお話になっている。つまり第1作を別ヴァージョンでやり直すという無茶無茶苦茶な話になっていて原作者が見たらきっと怒るだろうね。

しかしキャステンングだけはいっちょまえで、成人したアンにはバーバラ・ハーシー。傲慢な女主人にはなんとシャーリー・マクレーンが出演している。本シリーズがよっぽど儲かったんだろう。


職業に貴賎はなけれど忌むべきは三百代言投資ファンド 蝶人

Sunday, October 28, 2012

鎌倉交響楽団のマーラーの交響曲第2番を聴いて




♪音楽千夜一夜 第285回 &鎌倉ちょっと不思議な物語第264回

ご当地の鎌響が創立50周年を迎え、その記念すべき第100回の定期演奏会でマーラーの交響曲第2番「復活」を演奏しました。指揮者は2008年11月1日に同じマーラーの第5番のシンフォニーを力演しおおせた横島勝人氏でしたが、私はラトル&ベルリン、アバド&ルツエルンを耳にした以上の感銘と興奮を覚えました。

マーラーの音楽から聴こえてくるのは西欧の古典音楽のすべての達成、バッハやヘンデル、ヴィヴァルディ、ベートーヴェン、モザール、シューベルト、メンデルスゾーン、ベルリオーズ、ウイーンモダン派の音楽のすべてのアマルガム、クラシック音楽の近代のどんづまりの苦悩と絶望と背徳と回心と自己放棄の偉大なごみ箱の百花繚乱です。

素晴らしい膂力に満ち満ちた指揮者に率いられた当夜の鎌響は、第1楽章の深い一撃によって開始される闘争に疲れた英雄の生涯をまずは破綻なく演じおおせ、マーラー自身によって指定された5分間の休止を終えると、モーツアルトの緩徐楽章を思わせるアンダンテ・モデラートを天使の夢のように回想し、続いて悪夢のようなスケルッツオに突入します。

第4楽章では深く単純な信仰への回帰をうながすメゾソプラノ木下康子の玲瓏玉のごときアルトの深々とした朗唱が大ホールの隅々まで満たしそれが会場の外で鳴る金管楽器のコラールと天国的な調和を遂げていました。

演奏時間40分になんなんとする終曲の第5楽章に入ってもオーケストラは美感と緊張を絶やすことなく全人未踏の荒野を突き進み、人世の極北で遭遇した神の幻影の前で法悦の歌をうたいつづけます。ここで特筆すべきは鎌倉・戸塚のシニア合唱団によっておごそかに歌われた「私は逝く、生きるために!」の復活の賛歌で、堂を埋め尽くした聴衆はみずからも心の中の楽器を総奏し、壇上のコーラスと共に唇を動かしながら、この奇跡のような宴に参加し、その魂をいくぶんかは浄化することができたのでした。

ほんとうの音楽のよろこびと摂理は、ルーチンとマンネリの疲労困憊の泥沼にあがくプロオケの中ではなく、「一期一会のおんぐあく大革命」に燃え尽きるアマチュアの演奏のパトスとエートスの内部にあるということは、私だけでなくもはや世界の常識ですが、そのことをまたしても最上のレベルで達成したのが当夜の記念碑的な演奏でした。


ほむべきかな もろびとこぞりて称えよ奇跡の夜 こんな演奏を聴けるとは夢にも思わなかった 生きていて良かった 鎌響よありがとう 蝶人

*また別の夜の思い出

Saturday, October 27, 2012

鎌倉文学館で「源実朝展」を見て




茫洋物見遊山記第94回 & 鎌倉ちょっと不思議な物語第263回


生誕820年を期しての特別展ですが、狭い2つの会場に並んでいるのは太宰治の小説や斎藤茂吉、小林秀雄、吉本隆明などの実朝論の生原稿、それからいわゆる鎌倉文士どもが色紙に書いた実朝の歌くらいでたいしたものはありません。

それでもいくつかの発見はあって、正岡子規がその生涯をつうじて清書し続けた古今の俳人歌人の作品の墨痕はいまなお鮮やかで、これが一字一句心をこめて記されているさまは般若心経の写教に似ている。明治の短詩形文学の創始者のひたむきな心根にぢかに触れたような厳粛な気持ちになりました。

昔から文人は求めに応じて色紙に揮毫したりすることが多いようですが、不用意に書かれたこれが彼らの人となりをもののみごとに露呈するから面白い。名前はいちいち挙げませんが、あの有名な大作家がこんなつまらない書を書くのかと一〇〇年の恋も一瞬で興ざめになることもままあるので、未来の大作家を目指す人は要注意です。

彼らは自分の好きな実朝の和歌を自分の書で書きおろしているのですが、会場に並んだ筆跡に感銘を受けたのは葉山に住む詩人高橋陸郎ただ一人でした。

そんな次第でいくぶん期待外れに終わった展覧会の会場を出ると、由比ヶ浜から遠く伊豆大島を望む相模湾を背景に赤白黄色の美しい薔薇が咲き乱れており、それらの色と香りがこれで三カ月仕事の無い猫背の労働者の疲れた心を慰めてくれるようでした。


ためらいも恥も無く色紙に書きなぐるほんにお前はアホ馬鹿文士 蝶人

Friday, October 26, 2012

シドニー・ルメット監督の「Q&A」を見て




闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.334


新米地方検事補のティモシー・ハットンの悪戦苦闘物語でがす。

悪役の上司のみならずその上司に使役されている悪辣なブルドック警官ニック・ノルティや同僚、恋人と恋仇に振り回され、挙句に応援を約束していた検察の上層部にまで裏切られて身も世も恨むという可哀想なお話です。タイトルの「Q&A」は検察の尋問調書のことだという。

それにしてもニック・ノルティの存在感は圧倒的。善人役をやるとあれほど可愛らしいのに、ここでは物凄い汚れ役の悪党ぶりを見せつける。

社会派のルメットとしてさんざん痛めつけられたハットン選手の捲土重来を期しての続編を考えていたと思われるが、その夢はついに叶わなかったようだ。

脳内にざわめく嵐御しかねてお父さん大嫌いと喚きだしおり 蝶人

Thursday, October 25, 2012

リティー・バニュ監督の「さすらう者たちの地」を見て





闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.333


これは2001年の山形国際ドキュメンタリー映画祭で最高賞を受賞したフランス映画である。ロンノル政権時代の苦難とその後のポルポト政権による大虐殺に耐えて生き延びたカンボジアの民衆が、全土に敷かれることになった高速光ファイバー工事で露命をつなぐ極限状況をルポルタージュしている。

道端に穴を開けそこにケーブルを通すのだが、岩だらけの地面を掘り進んでいくと突如毒蛇が現れたり戦争中に埋められた地雷や爆弾が出てきたりする。命懸けの仕事を女子供も手伝って朝から晩までやっている。

工事を請け負っているのはおおむね悪徳ブローカーで、彼らに搾取される細民にはなけなしの賃金しか与えられず、貯金も明日の食料も夢も希望すらない。怪我をしても病院にすら行けない極貧生活を強いられている彼らにどんな励ましの言葉を言えようか。

キャメラはそんな悲惨な彼らに寄り添うようにして、そのありのまあの姿を全世界に伝えようとしている。


弁護士なんて三百代言金の為なら嘘八百 蝶人

Wednesday, October 24, 2012

松本健一著「増補出口王仁三郎」を読んで



照る日曇る日第545回

寅さん「屹立する最後のカリスマ」なんちって品性下劣な言葉を使うなよ。んで、もう一人のカリスマは天皇の軍隊を農民の革命軍でひっくりけえして国民の国家をでっちあげようとした北一輝だって書いてるけど、それを言うなら、大衆の下衆のどん底から這い上がって銀幕の大スターに成り上がったおらっちの方が、よっぽどカリスマじゃあねえのかい」

おいちゃん「寅さん、まあまあそう怒るなよ。おいらお団子を売ってるだけでまるっきり学はないけど、この本で「日本思想史の基軸は近代主義とナショナリズムと日本原理主義の3本柱だ」と書いてるのはちょいと面白かったね。前の2つはお互いに闘争を続けてきたわけだけど、それらの基底に日本の神、郷土、先祖、血縁、自然を総括する「原郷(パトリ)」への愛情があり、この日本原理主義が、あるときは天皇制国家主義と同調したり背馳する契機があるというんだ」

さくら「そんでこの日本原理主義に依拠し、出口なお(変性男子)を教組、出口王仁三郎(変性女子)をカリスマ宣教師とする大本教は、近代主義やナショナリズムから落ちこぼれ、過去の伝統や因習にしばられた大衆の怨嗟を解き放ち、「もう一つの天皇制」を目指したのだというのよね」

ひろし「伊勢神道系のアマテラスを主神とする明治国家の天皇制絶対主義に対抗して山陰、裏日本に押し込められていた出雲系のスサノオを「丑寅(うしとら)の金神(こんじん)」として賦活させ、日本原理主義革命をやらかそうとしたんだね」

タコ社長「いくら橋の下とか小さな泉を探したって肝心の天皇や大衆の実体がエーテル化した平成の御代では、悔しいけどもう寅さん以上のカリスマは出っこねえだろうなあ」

おばちゃん「みんな何をぐだぐだ屁理屈ばかり言ってるんだい。この本の駄目なところはね、肝心要の出口なをと王仁三郎の郷里の丹波の風土について触れてないことだね。「弁当忘れても傘わするな」ということわざ通り、晴陰ただならぬあの地の不安定な気候が、暗欝と情動爆発が瞬時に交錯する宗教革命的精神風土を生みだしたことが、インテリさんたちにはまるで分かってないようだね。

御前様「こりゃあ困ったあ。大衆の原像おばさんのつねさんに1本取られてしもうたあ」


神仏も天皇陛下も無用ですこの世を私が生き抜くために 蝶人

Tuesday, October 23, 2012

ステファン・スケイニ監督の「赤毛のアン アンの結婚」を見て




闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.332

ようやくギルと婚約したアンは、手に手を取ってNYに渡るのですが、ここで彼女が苦労して書きあげた小説が有名作家に盗用されたり、NYの有名病院に就職したギルが上司と衝突したりして、この大都会が嫌になった2人は、再び義母のマリラ無きグリーン・ゲイブルズに腰を落ち着けようとするのですが、そこで第1次大戦が勃発するのです。

高まる愛国運動に押されて応召したギルが行方不明になったのでアンは単身欧州に渡って愛する夫を訪ね歩くのですが、この間にここで詳述するのが面倒くさい奇奇怪怪の事件が相次いで起こりますがわれらが気丈なアンちゃんはこの国難苦難になんとか耐えぬいて奇跡的に夫、そしてNYの有名作家の遺児と共に懐かしのグリーン・ゲイブルズに辿りついたのでした。

しかしこの作品ではアンが奇怪な政治活動家に巻き込まれて命懸けの脱出行を敢行するなど、まるで女ジェームズボンドもどきの大活躍をするので前作との違和感が最後まで残ります。原作者のモンゴメリがこんなスパイ大作戦を書いたとはとうてい思えないのですが。

一杯のコップの中のモーツァアルトを飲む 蝶人


*友人が企画したイベントのご案内です。
  

Monday, October 22, 2012

ケビン・サリバン監督の「続・赤毛のアン アンの青春」を観て



闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.331

我らがアンちゃんは心の恋人ギルバートと涙ながらに別れて郷里を出て、エリート一族が占拠するキングスポートの高校の英語教師となるが、そこに待ち構えていたのは冷血動物のような不感症校長とプリングルファミリーの鼻もちならないアホ馬鹿ブルジョワ娘たちだった。

しかし恩人の理事長の後押しと持ち前の愛情と愛嬌と根性でこのピンチを乗り越えたアンちゃんは、ボストンに住む船長とその意地悪な母の頑なな心をとらえ、返す刀でアホ馬鹿娘を撫で切りにし、あまつさえ冷感校長を故郷の麗しのグリーン・ゲイブルズに連れ帰って奇跡の霊感をあたえ、血の通った真人間に戻すことに成功するのだった。

故郷を描いた最初の書物も出版され、大病から癒えたギルとの恋も成就し、順風満帆いまや青春真っ盛りのアンちゃんでした。


変にいじくってると死んでしまうでしょ自分の歌が 蝶人

Sunday, October 21, 2012

スティーヴン・ウオーカー監督の「ヤング@ハート」を見て




闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.330

82年にアメリカで結成された超高齢コーラス隊のドキュメンタリー映画。70代から80代、中には90代の老人たちがパンクやロックでシャウトしまくる破天荒の音楽映画である。

もともと高齢のうえに癌や肺炎を患っているメンバーも多く、実際にこの映画の撮影前後には3名の優れたソロイストを喪っているにもかかわらず彼らは明日を知れぬ肉体をひきずりながら歌いに歌う。彼らにとって歌うことは喜びであり、それ自体が生きてあることの証なのである。

映画の中ではザ・クラッシュの「ステイ・オア。ゴー」、ジェームズ・ブラウンの「アイフィール・グッド」、トーキング・ヘッズ」の「ロード・トゥ・ノーホエア」などが熱唱されるが、友の一人を亡くしたその日に、彼らが刑務所の囚人たちの前で激しくシャウトするボブ・ディランの「Forever Young」は感動的である。

   店長は茶髪を黒に戻しけり閉店迫りしガソリンスタンド 蝶人


Saturday, October 20, 2012

神宮、熊野、高野山を巡る




茫洋物見遊山記第93回 

せんだって長年にわたっての念願であったお伊勢さんに詣でることができました。

来年には恒例の式年遷宮が行われると聞き、できればその前にお参りしておきたかったのです。

 はじめに訪れた外宮にも増して巨きな樹林に囲まれて神聖の気に満ちていたのは五十鈴川に架かる宇治橋を渡って額づいた内宮で、神明造の建築様式は本邦固有の改訂を加えられているとはいえ東南アジアから伝来した南方風の威容を誇っていました。

なんでも神道の「常若」の思想によって二十年ごとに建て替えられるそうですが、せっかく苔むして自然と一体化してきた建造物を解体してしまうとは勿体ない。もしも初代の神宮がそのままこの地に聳え立っていたとしたら、世界最高の世界遺産になっていたことでしょう。歴史的な価値ということでは、新しい建築など何の値打ちもありません。

 今回は二泊三日のバス旅行でしたが、その二日目には熊野速玉大社、那智の滝、熊野那智大社、青岸渡寺、熊野古道、三日目には勝浦港から熊野本宮大社、十津川村の谷瀬の吊り橋を経て長駆高野山の奥の院を訪ねるという、じつに盛り沢山な三大聖地巡行の旅でした。

しかし私たちの乗ったバスが次第に紀伊山地の奥山に登って行くにつれ、熊野川流域の山肌を切り裂き、橋や田や無数の住宅をひと呑みにし押し流した昨年秋の台風の爪跡をまざまざと見せつけられ、一入生死の関頭に立って無常を達観する旅とはあいなりました。

洪水に備えて造られたはずのダムがものの見事に決壊し、それが被害をさらに大きくしたとも考えられるのですが、本来なら清き流れであるはずの大河が氾濫し、無惨に崩壊した河川敷や道路や集落をまるで巨象に挑む蟻のようにブルドーザーがのろのろ移動している姿を見るにつけ、人知は所詮大自然の暴威には及ばぬものかという暗澹たる気分に陥らざるをえませんでした。

 台風で本社を流されしバスに乗り初日170、2日目250、3日目270キロを走破せり 蝶人