Saturday, November 03, 2012

アンジェイ・ワイダ監督の「ダントン」を見て



闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.337

ダントンといえば「大胆に! もっと大胆に!常に大胆に!」という大革命時代のアジテーションが有名で、それから凡そ200年後のアジアの片隅でひとりの臆病な学生だった私も、この革命家の偉大な格言を思い出しては権力の暴力装置の前に痩せた肉体を晒しつつ吶喊していったものだった。

アンジェイ・ワイダがこの映画で描いたダントンの最晩年の姿は、他の多くの芸術家と同様愛情と共感に満ちたもので、大革命の中の唯一の楽天と寛容の人と称された豪儀な生き方と死にざまをよく伝えている。

ワイダが描くロベスピエールの姿も、巷間広く流布している冷徹な恐怖政治の独裁者とは一味違っている。彼が追及する革命事業に不可欠な「善人」ダントンとダントン派の親友デムーランを最後まで救おうとするが、彼らの頑なな姿勢がそれを妨げ、結局粛清に踏み切らざるを得なかったというふうに表現しているのだが、史実はそんな甘いものではなかったことを私たちはよく知っている。

ダントン最後の年である1794年には右派のジロンド派が追放されたばかりか、寛容派のダントンも、極左のエベール派も、ジャコバンの首領ロベスピエール自身も、サン・キュロットの同志討ちと内紛の中で自滅していくのである。嗚呼南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏。

今も昔も、共同の遠い凶暴な敵に対するよりも身近なゆるい味方に対する過敏で暴力的な反応を示すのが党派の下衆根性というもので、この事情は大革命から連合赤軍事件に至るまでまったく変わることなき革命家の悪癖であった。

この年のテルミドールのクーデター以降、大革命は当初の目標と理想を失い大混乱に陥るのであるが、ワイダは「もしこのとき2人の英雄が手を結んで共同戦線を展開していたら」という見果てぬ日共的連合戦線の夢想を映画にしてみたかったのだろう。


圧殺の森の下生え紅き色 蝶人

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