Wednesday, October 31, 2012

新説亜細亜版桃太郎音頭



ある晴れた日に 117


一、桃太郎さん 桃太郎さん
海に浮かんだ尖閣竹島
全部わたしに くださいな 

二、やりましょう やりましょう
これから北の征伐に
ついて行くなら あげましょう 

三、行きましょう 行きましょう
あなたについて どこまでも
仲間になって 行きましょう 

四、そりゃ進め そりゃ進め
一度に攻めて攻めやぶり
つぶしてしまえ 北の熊

五、おもしろい おもしろい
のこらず四島攻めふせて
分捕物を えんやらや 

六、万々歳 万々歳
お伴の犬や猿雉子は
勇んで車を えんやらや

七、桃太郎さん 桃太郎さん
これであらかた片付いた
今度は東を攻めましょう


秋の蚊を柔らかく叩いて殺す午後 蝶人

Tuesday, October 30, 2012

西暦2012年神無月 蝶人狂歌三昧



ある晴れた日に 116



思い出をひとつ殺してまたひとつ生みだしながら今日も過ぎゆく

究極の幸せとは人に愛され人に褒められ人の役に立ち必要とされること

ここで飛べ1969ウッドストック 飛んだ奴らはどこへ行ったか?

AKBなんてみな同じ顔しょんべんくさいイモねえちゃんばっかり

国産のゴマダラチョウが中国のアカボシゴマダラに駆逐される関東平野

朝っぱらからオオミズアオの幼虫を4匹も殺してしまって気色悪し

脳内にざわめく嵐御しかねてお父さん大嫌いと喚きだしおり

変にいじくってると死んでしまうでしょ自分の歌が

職業に貴賎はなけれど忌むべきは三百代言投資ファンド

弁護士なんて三百代言金の為なら嘘八百

神仏も天皇陛下も無用ですこの世を私が生き抜くために

ほむべきかな もろびとこぞりて称えよ奇跡の夜 こんな演奏を聴けるとは夢にも思わなかった 生きていて良かった 鎌響よありがとう

ためらいも恥も無く色紙に書きなぐるほんにお前はアホ馬鹿文士 

台風で本社を流されしバスに乗り初日170、2日目250、3日目270キロを走破せり

音楽はこれでいいのだヘンデルのアホ馬鹿音頭に陶然となる

「戦争だあ!」と喚く都知事に石原軍団尖閣出撃

一杯の水の中にいるベートーヴェンを飲む

来る朝ごとにブロックフレーテ練習していた小学生いつしか髭のリーマンになりおおせたる

こういう人が母親なら大丈夫だろうと思っていまの家内と結婚しました

クライアントの仕事待つ身は悲しけり朝から晩まで携帯鳴る待つ

けふこそはクライアントの電話あらんか手ぐすね引いて朝から待ちおり

往年の大スタア次々に逝くめれどわが原節子のみ永遠に生くらむ

掌にスマホ握りしめ若者は異界との交信に夢中である

古井由吉撰集パタリと閉じて思う中年男の妄想の凄まじさ

店員は茶髪を黒にして働けり閉店迫りしガソリンスタンド

Go ahead, Make my day!ドラ猫が三毛猫にいきまく真夏の昼下がり

襤褸襤褸の羽根でなお食草を探すアゲハにとって生とは何か

左側にハンドルを切って墜ちてゆくときの軽いめまいと快感よ

刺青は大嫌いだが入れたけりゃ入れよ猫も杓子も

刺青は大嫌いだけど入れたい人は入れなさいここは自由の国だから

今日もまた時給40円の労働に汗を流す子我が子愛しや

異界との通信に夢中なりスマホ族

秋蝉のとぎれとぎれの叫びかな

今生の思いを歌え秋の蝉

秋雨やガソリンスタンド終業す

秋茄子を一袋百円の有り難さ



*今月の童謡 モウモウ牛さんねんねぐー

山にはうぐいすホーホケキョ 

遠いお空に雲ひとつ 

モウモウ牛さんねんねぐー 

父さん母さんそして僕 

みんな揃ってねんねぐー 

アスパラ海を泳いで渡る 

難儀な夢を見ています 

やがて朝寝が終わったら 

モウモウ牛さんミルクを飲んで 

しばらくお昼寝ねんねぐー 

モウモウ牛さんねんねぐー 

すると太鼓がドデスカデン  

みんな揃って大行進 

大きな音で夢からさめた 

山にはカラス クワクワクワ 

遠いお空はあかね色 

あっと言う間に夕方だあ 

モウモウ牛さん霜降り食べて 

家族揃って宵寝する 

モウモウ牛さんねんねぐー 

はてさてこれからどんな夢 

夢は第二のじんせいだ 

大冒険のはじまりだあ 

モウモウ牛さんねんねぐー 

夢を見るのに疲れたら 

時々起きて居眠りしましょう 

モウモウ牛さんねんねぐー 



今朝もまた一輪天青の青を偸しむ 蝶人

Monday, October 29, 2012

ケビン・サリバン監督の「赤毛のアン 新たなる旅立ち」を見て



闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.335

まだまだ続く赤毛のアンちゃんの物語。これはモンゴメリーのフランチャイズ作品だそうで2008年の製作。仕掛け人のケビン・サリバンがこれまでのお話を引き継いだり新しいネタをでっちあげたりして自分勝手なアンちゃんに仕立て上げている。

最初の作品ではアンは寄宿舎に預けられていて、そこからマリラらとマシューの家にやって来たのだが、本作品では別の大金持ちの邸宅に迷い込んでいろいろ苦労しながらけなげに成長していくお話になっている。つまり第1作を別ヴァージョンでやり直すという無茶無茶苦茶な話になっていて原作者が見たらきっと怒るだろうね。

しかしキャステンングだけはいっちょまえで、成人したアンにはバーバラ・ハーシー。傲慢な女主人にはなんとシャーリー・マクレーンが出演している。本シリーズがよっぽど儲かったんだろう。


職業に貴賎はなけれど忌むべきは三百代言投資ファンド 蝶人

Sunday, October 28, 2012

鎌倉交響楽団のマーラーの交響曲第2番を聴いて




音楽千夜一夜 285 鎌倉ちょっと不思議な物語第264

ご当地の鎌響が創立50周年を迎え、その記念すべき第100回の定期演奏会でマーラーの交響曲第2番「復活」を演奏しました。指揮者は2008年11月1日に同じマーラーの第5番のシンフォニーを力演しおおせた横島勝人氏でしたが、私はラトル&ベルリン、アバド&ルツエルンを耳にした以上の感銘と興奮を覚えました。

マーラーの音楽から聴こえてくるのは西欧の古典音楽のすべての達成、バッハやヘンデル、ヴィヴァルディ、ベートーヴェン、モザール、シューベルト、メンデルスゾーン、ベルリオーズ、ウイーンモダン派の音楽のすべてのアマルガム、クラシック音楽の近代のどんづまりの苦悩と絶望と背徳と回心と自己放棄の偉大なごみ箱の百花繚乱です。

素晴らしい膂力に満ち満ちた指揮者に率いられた当夜の鎌響は、第1楽章の深い一撃によって開始される闘争に疲れた英雄の生涯をまずは破綻なく演じおおせ、マーラー自身によって指定された5分間の休止を終えると、モーツアルトの緩徐楽章を思わせるアンダンテ・モデラートを天使の夢のように回想し、続いて悪夢のようなスケルッツオに突入します。

第4楽章では深く単純な信仰への回帰をうながすメゾソプラノ木下康子の玲瓏玉のごときアルトの深々とした朗唱が大ホールの隅々まで満たしそれが会場の外で鳴る金管楽器のコラールと天国的な調和を遂げていました。

演奏時間40分になんなんとする終曲の第5楽章に入ってもオーケストラは美感と緊張を絶やすことなく全人未踏の荒野を突き進み、人世の極北で遭遇した神の幻影の前で法悦の歌をうたいつづけます。ここで特筆すべきは鎌倉・戸塚のシニア合唱団によっておごそかに歌われた「私は逝く、生きるために!」の復活の賛歌で、堂を埋め尽くした聴衆はみずからも心の中の楽器を総奏し、壇上のコーラスと共に唇を動かしながら、この奇跡のような宴に参加し、その魂をいくぶんかは浄化することができたのでした。

ほんとうの音楽のよろこびと摂理は、ルーチンとマンネリの疲労困憊の泥沼にあがくプロオケの中ではなく、「一期一会のおんぐあく大革命」に燃え尽きるアマチュアの演奏のパトスとエートスの内部にあるということは、私だけでなくもはや世界の常識ですが、そのことをまたしても最上のレベルで達成したのが当夜の記念碑的な演奏でした。


ほむべきかな もろびとこぞりて称えよ奇跡の夜 こんな演奏を聴けるとは夢にも思わなかった 生きていて良かった 鎌響よありがとう 蝶人

*また別の夜の思い出

Saturday, October 27, 2012

鎌倉文学館で「源実朝展」を見て




茫洋物見遊山記第94  鎌倉ちょっと不思議な物語第263


生誕820年を期しての特別展ですが、狭い2つの会場に並んでいるのは太宰治の小説や斎藤茂吉、小林秀雄、吉本隆明などの実朝論の生原稿、それからいわゆる鎌倉文士どもが色紙に書いた実朝の歌くらいでたいしたものはありません。

それでもいくつかの発見はあって、正岡子規がその生涯をつうじて清書し続けた古今の俳人歌人の作品の墨痕はいまなお鮮やかで、これが一字一句心をこめて記されているさまは般若心経の写教に似ている。明治の短詩形文学の創始者のひたむきな心根にぢかに触れたような厳粛な気持ちになりました。

昔から文人は求めに応じて色紙に揮毫したりすることが多いようですが、不用意に書かれたこれが彼らの人となりをもののみごとに露呈するから面白い。名前はいちいち挙げませんが、あの有名な大作家がこんなつまらない書を書くのかと一〇〇年の恋も一瞬で興ざめになることもままあるので、未来の大作家を目指す人は要注意です。

彼らは自分の好きな実朝の和歌を自分の書で書きおろしているのですが、会場に並んだ筆跡に感銘を受けたのは葉山に住む詩人高橋陸郎ただ一人でした。

そんな次第でいくぶん期待外れに終わった展覧会の会場を出ると、由比ヶ浜から遠く伊豆大島を望む相模湾を背景に赤白黄色の美しい薔薇が咲き乱れており、それらの色と香りがこれで三カ月仕事の無い猫背の労働者の疲れた心を慰めてくれるようでした。


ためらいも恥も無く色紙に書きなぐるほんにお前はアホ馬鹿文士 蝶人

Friday, October 26, 2012

シドニー・ルメット監督の「Q&A」を見て




闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.334


新米地方検事補のティモシー・ハットンの悪戦苦闘物語でがす。

悪役の上司のみならずその上司に使役されている悪辣なブルドック警官ニック・ノルティや同僚、恋人と恋仇に振り回され、挙句に応援を約束していた検察の上層部にまで裏切られて身も世も恨むという可哀想なお話です。タイトルの「Q&A」は検察の尋問調書のことだという。

それにしてもニック・ノルティの存在感は圧倒的。善人役をやるとあれほど可愛らしいのに、ここでは物凄い汚れ役の悪党ぶりを見せつける。

社会派のルメットとしてさんざん痛めつけられたハットン選手の捲土重来を期しての続編を考えていたと思われるが、その夢はついに叶わなかったようだ。

脳内にざわめく嵐御しかねてお父さん大嫌いと喚きだしおり 蝶人

Thursday, October 25, 2012

リティー・バニュ監督の「さすらう者たちの地」を見て





闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.333


これは2001年の山形国際ドキュメンタリー映画祭で最高賞を受賞したフランス映画である。ロンノル政権時代の苦難とその後のポルポト政権による大虐殺に耐えて生き延びたカンボジアの民衆が、全土に敷かれることになった高速光ファイバー工事で露命をつなぐ極限状況をルポルタージュしている。

道端に穴を開けそこにケーブルを通すのだが、岩だらけの地面を掘り進んでいくと突如毒蛇が現れたり戦争中に埋められた地雷や爆弾が出てきたりする。命懸けの仕事を女子供も手伝って朝から晩までやっている。

工事を請け負っているのはおおむね悪徳ブローカーで、彼らに搾取される細民にはなけなしの賃金しか与えられず、貯金も明日の食料も夢も希望すらない。怪我をしても病院にすら行けない極貧生活を強いられている彼らにどんな励ましの言葉を言えようか。

キャメラはそんな悲惨な彼らに寄り添うようにして、そのありのまあの姿を全世界に伝えようとしている。


弁護士なんて三百代言金の為なら嘘八百 蝶人

Wednesday, October 24, 2012

松本健一著「増補出口王仁三郎」を読んで



照る日曇る日第545

寅さん「屹立する最後のカリスマ」なんちって品性下劣な言葉を使うなよ。んで、もう一人のカリスマは天皇の軍隊を農民の革命軍でひっくりけえして国民の国家をでっちあげようとした北一輝だって書いてるけど、それを言うなら、大衆の下衆のどん底から這い上がって銀幕の大スターに成り上がったおらっちの方が、よっぽどカリスマじゃあねえのかい」

おいちゃん「寅さん、まあまあそう怒るなよ。おいらお団子を売ってるだけでまるっきり学はないけど、この本で「日本思想史の基軸は近代主義とナショナリズムと日本原理主義の3本柱だ」と書いてるのはちょいと面白かったね。前の2つはお互いに闘争を続けてきたわけだけど、それらの基底に日本の神、郷土、先祖、血縁、自然を総括する「原郷(パトリ)」への愛情があり、この日本原理主義が、あるときは天皇制国家主義と同調したり背馳する契機があるというんだ」

さくら「そんでこの日本原理主義に依拠し、出口なお(変性男子)を教組、出口王仁三郎(変性女子)をカリスマ宣教師とする大本教は、近代主義やナショナリズムから落ちこぼれ、過去の伝統や因習にしばられた大衆の怨嗟を解き放ち、「もう一つの天皇制」を目指したのだというのよね」

ひろし「伊勢神道系のアマテラスを主神とする明治国家の天皇制絶対主義に対抗して山陰、裏日本に押し込められていた出雲系のスサノオを「丑寅(うしとら)の金神(こんじん)」として賦活させ、日本原理主義革命をやらかそうとしたんだね」

タコ社長「いくら橋の下とか小さな泉を探したって肝心の天皇や大衆の実体がエーテル化した平成の御代では、悔しいけどもう寅さん以上のカリスマは出っこねえだろうなあ」

おばちゃん「みんな何をぐだぐだ屁理屈ばかり言ってるんだい。この本の駄目なところはね、肝心要の出口なをと王仁三郎の郷里の丹波の風土について触れてないことだね。「弁当忘れても傘わするな」ということわざ通り、晴陰ただならぬあの地の不安定な気候が、暗欝と情動爆発が瞬時に交錯する宗教革命的精神風土を生みだしたことが、インテリさんたちにはまるで分かってないようだね。

御前様「こりゃあ困ったあ。大衆の原像おばさんのつねさんに1本取られてしもうたあ」


神仏も天皇陛下も無用ですこの世を私が生き抜くために 蝶人

Tuesday, October 23, 2012

ステファン・スケイニ監督の「赤毛のアン アンの結婚」を見て




闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.332

ようやくギルと婚約したアンは、手に手を取ってNYに渡るのですが、ここで彼女が苦労して書きあげた小説が有名作家に盗用されたり、NYの有名病院に就職したギルが上司と衝突したりして、この大都会が嫌になった2人は、再び義母のマリラ無きグリーン・ゲイブルズに腰を落ち着けようとするのですが、そこで第1次大戦が勃発するのです。

高まる愛国運動に押されて応召したギルが行方不明になったのでアンは単身欧州に渡って愛する夫を訪ね歩くのですが、この間にここで詳述するのが面倒くさい奇奇怪怪の事件が相次いで起こりますがわれらが気丈なアンちゃんはこの国難苦難になんとか耐えぬいて奇跡的に夫、そしてNYの有名作家の遺児と共に懐かしのグリーン・ゲイブルズに辿りついたのでした。

しかしこの作品ではアンが奇怪な政治活動家に巻き込まれて命懸けの脱出行を敢行するなど、まるで女ジェームズボンドもどきの大活躍をするので前作との違和感が最後まで残ります。原作者のモンゴメリがこんなスパイ大作戦を書いたとはとうてい思えないのですが。

一杯のコップの中のモーツァアルトを飲む 蝶人


*友人が企画したイベントのご案内です。
  

Monday, October 22, 2012

ケビン・サリバン監督の「続・赤毛のアン アンの青春」を観て



闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.331

我らがアンちゃんは心の恋人ギルバートと涙ながらに別れて郷里を出て、エリート一族が占拠するキングスポートの高校の英語教師となるが、そこに待ち構えていたのは冷血動物のような不感症校長とプリングルファミリーの鼻もちならないアホ馬鹿ブルジョワ娘たちだった。

しかし恩人の理事長の後押しと持ち前の愛情と愛嬌と根性でこのピンチを乗り越えたアンちゃんは、ボストンに住む船長とその意地悪な母の頑なな心をとらえ、返す刀でアホ馬鹿娘を撫で切りにし、あまつさえ冷感校長を故郷の麗しのグリーン・ゲイブルズに連れ帰って奇跡の霊感をあたえ、血の通った真人間に戻すことに成功するのだった。

故郷を描いた最初の書物も出版され、大病から癒えたギルとの恋も成就し、順風満帆いまや青春真っ盛りのアンちゃんでした。


変にいじくってると死んでしまうでしょ自分の歌が 蝶人

Sunday, October 21, 2012

スティーヴン・ウオーカー監督の「ヤング@ハート」を見て




闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.330

82年にアメリカで結成された超高齢コーラス隊のドキュメンタリー映画。70代から80代、中には90代の老人たちがパンクやロックでシャウトしまくる破天荒の音楽映画である。

もともと高齢のうえに癌や肺炎を患っているメンバーも多く、実際にこの映画の撮影前後には3名の優れたソロイストを喪っているにもかかわらず彼らは明日を知れぬ肉体をひきずりながら歌いに歌う。彼らにとって歌うことは喜びであり、それ自体が生きてあることの証なのである。

映画の中ではザ・クラッシュの「ステイ・オア。ゴー」、ジェームズ・ブラウンの「アイフィール・グッド」、トーキング・ヘッズ」の「ロード・トゥ・ノーホエア」などが熱唱されるが、友の一人を亡くしたその日に、彼らが刑務所の囚人たちの前で激しくシャウトするボブ・ディランの「Forever Young」は感動的である。

   店長は茶髪を黒に戻しけり閉店迫りしガソリンスタンド 蝶人


Saturday, October 20, 2012

神宮、熊野、高野山を巡る




茫洋物見遊山記第93 

せんだって長年にわたっての念願であったお伊勢さんに詣でることができました。

来年には恒例の式年遷宮が行われると聞き、できればその前にお参りしておきたかったのです。

 はじめに訪れた外宮にも増して巨きな樹林に囲まれて神聖の気に満ちていたのは五十鈴川に架かる宇治橋を渡って額づいた内宮で、神明造の建築様式は本邦固有の改訂を加えられているとはいえ東南アジアから伝来した南方風の威容を誇っていました。

なんでも神道の「常若」の思想によって二十年ごとに建て替えられるそうですが、せっかく苔むして自然と一体化してきた建造物を解体してしまうとは勿体ない。もしも初代の神宮がそのままこの地に聳え立っていたとしたら、世界最高の世界遺産になっていたことでしょう。歴史的な価値ということでは、新しい建築など何の値打ちもありません。

 今回は二泊三日のバス旅行でしたが、その二日目には熊野速玉大社、那智の滝、熊野那智大社、青岸渡寺、熊野古道、三日目には勝浦港から熊野本宮大社、十津川村の谷瀬の吊り橋を経て長駆高野山の奥の院を訪ねるという、じつに盛り沢山な三大聖地巡行の旅でした。

しかし私たちの乗ったバスが次第に紀伊山地の奥山に登って行くにつれ、熊野川流域の山肌を切り裂き、橋や田や無数の住宅をひと呑みにし押し流した昨年秋の台風の爪跡をまざまざと見せつけられ、一入生死の関頭に立って無常を達観する旅とはあいなりました。

洪水に備えて造られたはずのダムがものの見事に決壊し、それが被害をさらに大きくしたとも考えられるのですが、本来なら清き流れであるはずの大河が氾濫し、無惨に崩壊した河川敷や道路や集落をまるで巨象に挑む蟻のようにブルドーザーがのろのろ移動している姿を見るにつけ、人知は所詮大自然の暴威には及ばぬものかという暗澹たる気分に陥らざるをえませんでした。

 台風で本社を流されしバスに乗り初日170、2日目250、3日目270キロを走破せり 蝶人

Friday, October 19, 2012

グライドボーン音楽祭のヘンデル「リナルド」を聴いて




音楽千夜一夜 283

最近ヘンデルを古楽器で面白く聴かせる集団が増えてきましたが、これは2011年夏の英国のグライドボーン音楽祭の録画です。オッターヴィオ・ダントーネという指揮者がエイジ・オブ・エンライトゥンメント管弦楽団を振った公演のライブですが、演奏よりもロバート・カーセンの演出の面白さで魅せるお芝居でした。

オペラは本質的に見せ物ですから音楽さえちゃんと聴かせてくれれば別に演出自体を否定するわけではないのですが、このカーセン選手はバレンボイム&スカラ座の「ドンジョバンニ」のように時折やり過ぎることがあって、その折には肝心の音楽を傷つけることもあるので、ほどほどにしてもらいたいものです。

ヘンデルとロッシーニの音楽はミニマムミュージックの元祖であり、彼らの同工異曲のアリアを聴いていると、いつのまにか軽い酩酊状態に陥ってしまうのだが、この曲でも私たちは女子高生を苛めたり苛められたりしながら、そういうちょっと異常な体験を楽しむことができるだろう。

音楽はこれでいいのだヘンデルのアホ馬鹿音頭に陶然となる 蝶人

Thursday, October 18, 2012

山田和樹指揮オネゲル「火刑台上のジャンヌ・ダルク」を視聴して



音楽千夜一夜 282 

2012年のサイトウ・キネンフェス松本の公演をNHKの衛星放送で視聴しました。

このオネゲルのオペラは、以前小澤征爾がこの舞台にかけた時は、曲の物珍しさもあってまあまあ面白いと思ったものでした。(思えばこの人は独墺系の主流からちょいと離れた仏露洪牙利系で比較的マシな演奏をすることが多かったのです)。

今回は、なんとあのカラヤンの愛娘がジャンヌに扮するというので興味津津でしたが、これが父親譲りの長い鼻の持ち主で懐かしさを呼び起こしたものの、特にどうということはありませんでした。(他の声優でも良かったんじゃないの、という意味です。)

それから売り出し中の若手が指揮をしましたが、これがただ一生懸命に棒を振っているだけの木偶の棒のような人物で、管弦楽はどうだか知らないがおそらくオペラのなんたるかも知らず、ろくに振ったこともないのでしょう。演出はさすがにあの手この手をやってはいたが、べらぼうに高い料金を払わされてこんな木石の朴念仁の如き若造から下らない音楽を聴かされるお客の身にもなってもらいたいものです。(私はテレビで見物しただけだから助かったという意味です。)

彼は小澤と同様仏ブザンソンのコンクールで優勝したというのですが、オペラが大の苦手な指導者についてもろくなことはない。本気でオペラをやるつもりなら、早く欧州のまともな職人に弟子入りして少なくとも10年ほどはしっかり徒弟修行してほしいものです。

「戦争だあ!」と喚く都知事に石原軍団尖閣出撃 蝶人


Sunday, October 14, 2012

ジョン・フォード監督の「三人の名付け親」を見て



闇にまぎれてbowyow cine-archives vol.329


サザエ「1948年製作の映画だというのに鮮やかな色彩美にびっくり。砂漠の砂嵐をあんなに奇麗に見せてくれるなんて! 「アラビアのロレンス」のデビット・リーンはこの映画を真似したんじゃないかしら。」

マスオ「はじめに出てきたなよなよのオジサンが実は凄腕の保安官だったり、銀行を襲撃した凶悪犯たちが砂漠の真ん中で生まれた赤ちゃんに夢中になるとか、人は見かけによらないというか、思いがけないドンデンガエシがあるのが面白いね。」

カツオ「砂漠の真ん中で生まれた赤ちゃんがイエスキリストで、ジョン・ウエインなんかの3人の悪党が西方からやって来た博士たちのように描かれている。聖書のお告げがバンバン出てくるし、この映画って宗教映画みたい。本当に西部劇なの?」

波平「つまり、基督教原理主義と拳銃こそがアメリカの原点、ということがよく分かる映画なんじゃよ。」


異界との通信に夢中なりスマホ族 蝶人

Saturday, October 13, 2012

「古井由吉自撰作品七」を読んで




照る日曇る日第544

この巻では、1992年の「楽天記」と2002年の「忿翁」の、いずれも新潮社から刊行された2冊の単行本を収録している。

後者の中の短編「枯れし林に」は、葉を落とした冬の雑木林とそれらを構成している楢や欅の厳しい風雨に耐えている姿態と屈曲についての精緻な観察から始まり、やがてその孤独な樹木を象徴するような中年の主人公が登場する。

電車の中で手帳に記したメモをどんどん消去している男を見た夜、主人公は帰宅してからどんどん私物を整理し始める。ノートや雑誌、書類や手紙はもとより大中小の衣類に至るまでどんどんビニール袋と段ボールに詰め込んでいると、はじめはあっけにとられていた男の細君も一緒になって深夜の大掃除が明け方まで続くのである。

この小説で会社の不祥事に巻き込まれていた男は、このように一夜にして身辺を整理した後で、結局は自裁して果てるのだが、物を捨てるには勇気が要る。

それは物たちが自分が生きてきた過去の記憶と密接に繋がっていて、たとえ些細な物を捨てても、それは現在の自分を今も形づくっている大切な生きた過去を裁断し放棄し殺戮する行為だからである。

だから人はその裁断と放棄と殺戮に見合う、あるいはそれを凌駕する価値をどこかに見出すまではけっして物を捨てようとしない。数年前に父の唯一の遺品であるくたびれた鞄を、その中に収められていたたった一枚の彼の名刺とともに処分したときにも、私は改めてそのように思った。



古井由吉撰集パタリと閉じて思う中年男の妄想の凄まじさ 蝶人

思い出をひとつ殺してまたひとつ生みだしながら今日も過ぎゆく 蝶人

Friday, October 12, 2012

高校生になった日




バガテルop160 鎌倉ちょっと不思議な物語262


待てど暮らせどクライアントからの仕事の依頼の電話は鳴らなかったので、久しぶりにバスに乗って駅前まで出かけた。

つい先だってまで油蝉が末期の歌をうたっていたのに辻のあちこちで薄の穂が出てすっかり秋の景色となっている。知らない間に屋敷が取り壊されたり、レストランが廃業したり、新しいビルジングが建ったりして、まるで見知らぬ街のようだ。

そうこうするうちに私もどんどん歳を取って時代から取り残され、親しい友も無く、寂しい死を迎えるのだろう。東急ストアで黒と茶の靴墨を買い、「鎌万」で6個300円の和歌山柿を買い、帰りのバスに乗った。

八幡宮の前にさしかかると、修学旅行の生徒たちが大勢歩いている。私の後ろに座った若い男女の話声が聞こえてきた。

「あいつら中学生かなあ? それとも高校生かなあ?」
「女の子を見てもわかんないよ。男の子を見なきゃ」
「男の子? どうして分かるの?」
「男子はね、高校生になったその日から突然背がシャキッと伸びて、肩幅がズーンと広がるの」
「へええ、初めて聞いたなあ。それってどこの高校へ行って調べてきたの?」
「どこで調べたって? あんたって馬鹿ねえ、そんなの見れば分かるじゃん」
「……そうか、見ればわかるのか」

二人は楽しそうに笑っている。けれどもいかに人生が長くとも、こういうどうということのない会話を交わせる相手と時期は限られていることを、恐らく彼らは知らないだろう。浄明寺のバス停で降りてゆく二人を見ながら、私は彼らの幸せを祈らずにはいられなかった。

究極の幸せとは人に愛され人に褒められ人の役に立ち必要とされること 蝶人