Wednesday, March 21, 2007

黒川紀章の挑戦

勝手に東京建築観光・第7回

建物と緑を切り分ける直線を避け、膨らんだガラス壁が波打つ…。

東京ミッドタウンの国立新美術館を設計した黒川紀章選手が、今度は都知事選に立候補した。

あの安藤忠雄選手とつるんでオリンピック大建築計画を打ち出したあほばか東京都知事、石原慎太郎に一矢報いようとでもいうのであろうか? 

いやあ老いてますますお盛んなことである。

さて建築家、黒川紀章の特質は、時流を見極め、それに乗じることが実に機敏であるということである。

現在安藤忠雄、隈研吾など多くの建築家がエコロジーと建築をにわかに結び付けようとしているが、黒川選手は、とっくの昔に彼のエコシティ構想によって河南省都鄭州市都市計画国際設計コンペで1等になった実績を誇る。

鄭州は北京から南西600kmの黄河流域の150万人古都であるが、山手線内側の倍以上の規模1万5000haを再開発し、旧市街に新都心を造っている。

800hの人口湖「龍湖」など緑と水が都心と融合する。そのコンセプトは、「生態回廊」と称するもので、各地域間に河川を巡らせて水上交通を盛んにし、岸辺には公園を作る。さらに一部の高層ビルを除いて高度15mに制限するなど、自然との共生をめざす大規模都市全体計画にすでに取り組んでいるのである。

表参道ヒルズひとつ作るのに保存と再生、住民と森ビルの合間でノーアイデアに陥ってしばし立ち往生した安藤選手なんか、ちゃんちゃらおかしくって、というところだろうか。

しかし時流に敏な建築家黒川紀章の原点は、やはり1972年に銀座8丁目に完成した集合住宅「中銀カプセルタワー」であろう。(写真)

すべての家具や設備を1つの箱に出来合いのパッケージとしてユニット化し、2本の鉄筋コンクリートのシャフトにボルトで接続したプレハブ住宅は、黒川と私が大嫌いな建築家、菊竹清訓が考案したメタボリズム=新陳代謝主義という思想に基づいて設計されたといわれている。

人間の体は60兆個の細胞でできており、その細胞は1秒ごとに1000万個が死滅して新しい細胞に生まれ変わっている。この有様をミクロで観察すると、人間は2ヶ月余りでまったく新しい存在に再生していることになる。

そこで時々刻々と変化する社会や時代に合わせ、まるで生物のように建築や都市を変化させよう、とするのがメタボリズム的な建築哲学、だそうだ。

しかし現地に立ってつくづくこのマンションを眺めていてもあまりメタボルな感じは沸いてはこない。むしろ黒川選手が本当に影響を受け、参考にしたのは、「現代のレ
オナルドダヴィンチ」といわれたバックミンスターフラー(R.BuckminsterFuller1895-1983)ではなかったろうか?

「最少のもので最大の効果を」、「グローバルに考え、ローカルに行動しよう」と唱え「宇宙船地球号」というコンセプトを創案したこの米国の建築家・数学者は、「最小の資源で最大の容積を確保できるフラードーム」の発明者でもあった。

東京ドームや木下サーカスのテントの下のオートバイ激走鉄球、さらにはフラーレンの構造にも似たそれは球体であったが、実はバックミンスターフラーは50年代からシンプルで機能的な矩形のプレハブワンルームの設計も世界にさきがけて取り組んでいた。

それを黒川選手が器用にパクッて日本流にアレンジしたものが、この中銀マンションではなかったかと、私は勝手に想像しているのだが……。

しかしモダンリビングの1典型として一世を風靡し、かつて私がこよなく愛したカプセルホテルの原器となったこの名建築も、寄る年波には勝てず、上下水の工事や補修にもはや対応できないという理由でまもなく取り壊されるそうだ。

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