Wednesday, March 07, 2007

戦争に行ったつもりで

ある丹波の老人の話(8)第二話養蚕教師(2)


翌年は、波多野さんの推薦で西原へ行きました。

西原いうとこはどういうものか毎年蚕が不作で、上野源吉という伝習所の先生までした熟練第一の教師の指導も失敗し、おまけになけなしの繭を糸屋にごっそり買い叩かれて弱りきっておりました。

そんなところへ行ってしくじったら波多野さんにも申し訳ないし、西原をいよいよ困窮に陥れてしまう、と私は案じましたが、思いなおして、

「よし! 戦争に行ったつもりで命懸けでやろう」

と心に誓いました。というのもおりしもちょうどそのころ日露戦争の真っ最中やったんです。

そこで毎日城丹講習所へ通って見学し、諸先生方にも尋ねて研究し、ともかく最善を尽くしました。

私は当時温暖育による失敗が多いことを知り、いろいろ考えた挙句、給温のために一つの炉に使う燃料を二分して二つの炉で焚き、廊下にも火鉢を置くようにして温度の調整と均一化をはかりました。

これがよかったとみえて西原での飼育は見事に成功し久しぶりに上作という結果が出たんです。

私はその後も二年続けて西原に行きましたが、三年連続で上作だったので、あれほど疲弊しておった西原も完全に立ち直りました。

西原の農家にはいままで絶えて見ることのなかった清々しい畳み敷きの部屋ができ、柱には文明開化の象徴である柱時計が時を刻んでいるという光景があちこちで見かけられるようになりました。

このように元気に農村で活動を続けておった私でしたが、二十一の徴兵検査で肺浸潤といわれ、父が心配したんで私はそれまで勤めておった「郡是」を辞め、養蚕教師に専念しようと心に決めたんでした。

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