♪音楽千夜一夜 第16回
音楽評論家の片山杜秀氏が「レコード芸術」2月号に映画監督小津安二郎と斉藤高順の関係について書いている。
斉藤は小津作品のうち「東京物語」「早春」「東京暮色」「彼岸花」「浮草」「秋日和」「秋刀魚の味」の7作の音楽を担当していて、“フェリーニとロータ、ゴジラと伊福部、トリュフォーとドルリュに匹敵する”名コンビであった。
私は長らく小津映画の唯一最大の欠点は、その映像と無関係であまりにも楽天的なジンタ調の映画音楽にある、と考えてきたが、最近いや、かえってそのことがいやがうえにも小津の映像の深さを伝えているのではないかと思うようになったが、片山氏の論考はそのことをもっと掘り下げて考えていた。
また私は、これまで斉藤高順という人を無名に近い音楽家と勝手に想像していたのだが、それはとんでもない間違いであった。
斉藤は「海ゆかば」の信時潔の弟子で海軍軍楽隊に入り昭和47年には航空自衛隊航空音楽隊の隊長に就任、昭和51年には旧陸軍軍楽隊とつながりが深い警視庁音楽隊の隊長を務めるのである。いわばマーチやポルカの権威であった。
ここで映画の話に戻るが、そもそもサイレント映画には無声の画面を活性化するこのにぎやかな音楽が必須の味付けであった。
ところがトーキーが導入されると、同時録音の映像は脚本のドラマ性を表現し、登場人物の感情の起伏を十分に伝えるようになり、音楽は映像の内部に深く入り込んで、そのドラマツルギーをいっそう劇的に強調するようになる。
しかしトーキー時代に入ってもサイレント時代の映画作法、つまり映像だけがドラマツルギーを支え、音楽はそのドラマの枠外で映像を活性化する「劇伴」としてのみ機能することを望んだ小津は、自由で個性的な音楽作りを許さなかった。
片山氏は、そこにマーチやポルカの権威である斉藤の存在理由があったというのである。
私にとって小津映画のもっとも小津的な瞬間、
それは斉藤高順の軽やかな音楽が流れ、主人公の原節子が、専務役の佐野周二または佐分利信または山村聡または笠智衆を訪ねてくる、正午前の穏やかな日差しが当たっている丸の内のビルジングのロングショットに他ならない。
小津が願ったのは「いつも天気のいい音楽」であり、斉藤だけがその粗雑なようでいて深い思想が込められた注文に応えることができたのであった。
No comments:
Post a Comment