ある丹波の老人の話(10)第二話養蚕教師(4)
私は青野氏の家に泊めてもろうたんですが、私にあてがわれた部屋も、夜具や布団ももったいないほど立派なもんでした。
私はかねて波多野さんから教えられた通りに、枕には自分の手ぬぐい、掛け布団の襟には風呂敷をあてがって寝ました。
青野家には凝った茶室もあって、鐘を打って客を招き入れるような本式の茶室が設けられており、私も来客がある都度招かれました。
さいわい私は妹がお茶の稽古をやっとったときに、いつもお客さんになとったもんやから、茶の飲み方だけは心得ておりました。落ち着き払って形のごとくやったんで恥はかいまへんでした。
また青野氏は謡曲が好きでした。
ところがそれがまったくの「下手の横好き」というやつで、同族の青野浩輔さんと奥座敷で毎晩のようにうなるんですが、どっちも兄たりがたく、弟たりがたく、聞いておっても肩が凝ってくるようなもんでした。
私も少し謡をやると知った青野氏から招かれて、強いられるがままに小謡を一番うたったら、「これはたいしたものだ」ということになって、蚕の先生は承知の上でやっておることですが、とうとう謡の先生に祭り上げられてしまいました。
ところが青野氏は観世流、私は宝生流なんで、観世の謡い本を見ながら宝生をうたうのを、観世の人がせっせと習うというおかしなことになってしまいましたが、それでもなんとかお相手をしてそれなりに楽しいひと時を過ごしたもんでした。
こんなことから私は青野氏一家、一門の人々と親しくなり、信用されるようになりました。
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