降っても照っても 第1回
いつのまにか80歳を超えてしまった第3の新人、安岡章太郎の最新作がこれだ。
前半は小林秀雄にまつわる思い出話の「危うい記憶」、後半はタイトルと同名の「カーライルの家」だが、それぞれにとぼけた味わいを随所にかもし出していて絶品である。
前半の小林秀雄ばなしは面白い。
特に中原中也からぶんどったスリムで「かなり美人」の長谷川泰子と同棲した小林が、彼女の潔癖症に悩まされて突如奈良の志賀直哉の家に転がり込んでいくあたりの細かい描写はじつに興味深い。
眼前に老青二人の文学者の姿形がありありと浮かんでくる。
その文を書いている安岡の語りは、まるで志賀直哉の生き写しのようにも、小林秀雄にも思えるときがあった。
まるで青森のイタコです。霊媒心霊エッセイでげす。
私は昔父と一緒に小林が大本教の1000畳敷きの大本みろく殿で1席やったのを聴いたことがあるが、それも完全に落語であった。
小林が落語名人なら、安岡も新型落語で対抗しようとしている。
安岡が小林と共に旧ソ連に旅行した話も面白い。
ここにはあの有名な「ネヴァ河を見に行く」の裏話が出てきます。漱石も、白鳥も、内村鑑三も、出てきます。
表題作の最後は、志ん朝、小さんか円朝の名人落語のようなオチがついている。
カーライルが書き上げたばかりの「フランス革命史」の生原稿を、ジョン・ステュアート・ミル夫人がぜんぶストーブの火付けにくべたなんていい文学ネタだと思いませんか?
かくして嘘かほんとか分らないような風流文学譚は、薄明の闇に消ゆる。
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