Thursday, June 07, 2012

フィリップ・ジョルダン指揮パリオペラ座バスチーユの「ペリアスとメリザンド」を視聴して




♪音楽千夜一夜 261

何の期待もせずに見物しはじめたビデオだったが、ロバート・ウイルソンの美術と演出が素晴らしい。04年10月15日の大野和士指揮のモネ劇場の「アイーダ」でも、さながらルネ・マグリットの演出でイプセンの演劇を見せられているような不思議な気分になったのだが、ここでは効果的で簡素で抽象的な舞台に登場人物を影人形のように取り扱ったり、能のような所作をさせたり、手首に手話のような振りつけを施したり、創意工夫の限りを尽くして巴里の観衆を楽しませている。

当節の新進気鋭の演出家、例えば昨日紹介したアホ馬鹿クリストフ・ロイのような手合いは、歌劇の本質とは無縁な仕掛けを強引に外部から持ち込んで音楽と歌唱の有機的な流れをずたずたに断ち切って恬として恥じることがない最低野郎だが、この英国紳士はフランス風トリスタンとイゾルデとでも評すべき神秘的な純愛物語に終始優しく寄り添いながらかつてのブーレーズ&ウエールズ国立歌劇場に比肩するような名舞台を鮮やかに立ち上げている。

指揮者のフィリップ・ジョルダンはかつてスイス・ロマンド管のシェフであったアルミン・ジョルダンの息子だが、父親の凡庸さをそっくりそのまま引き継いだような交通整理的凡演を繰り広げており、その演奏はブーレーズはもちろん大野和士の音楽性には到底及ばないが、世界のオペラハウスはこういう痛くも痒くもない衛生無害の連中によって占拠されてゆくのだろう。

バスチーユの劇伴はなんせ本場物ということでまずは無難にこなしているが、第4幕の幕切れなどは指揮者ともどももっと死ぬ気で感情を込めて演奏してほしいものだ。これならわが東フィルのほうがもっとちゃんと仕事をするに違いない。

 ところでこのオペラのキモは国王アルケルの配役だが、フランツ・ヨーゼフ・ゼーリヒはまずまずの出来栄え。ジュヌヴィエーヴ役のアンネ・ソフィー・フォン・オッターが衰えたのは悲しい。
ペレアス:ステファーヌ・デグーゴロー:ヴァンサン・ル・テクシエアルモンドの国王 アルケル:フランツ・ヨーゼフ・ゼーリヒイニョルド:ジュリー・マトヴェ医師:ジェローム・ヴァルニエ
ゴローの妻 メリザンド:エレナ・ツァラゴワジュヌヴィエーヴ:アンネ・ソフィー・フォン・オッター 
なおこの日のNHKBS3には、パーヴォ・ヤルヴィ指揮ドイツ・カンマーフィルによるベートーヴェンの6番と7番の交響曲ライヴがグリコのおまけのようについていたが、こーゆー過去の凡演に屋上屋を積み重ねるような演奏はもうたくさんだ。重箱の隅をつつくようなちまちました新解釈を喜んでいるのは演奏しているあんたたち当事者と一部の変態的な暮し苦音楽関係者だけで、一般の普通の聴衆はもううんざりなんだよ。

皇室を飛び出し障碍者のために働きたかったんだってね髭の殿下逝く六十六歳 蝶人

テングチョウとルリシジミ数多生まれた日髭の寛仁殿下蒙じたり 蝶人

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