バガテルop154
最近はここで「一日一歌」と題して下らない唄のような屁のやうなものをアップしているわたくしであるが、時々日本経済新聞の俳壇や歌壇に投稿することもあるのだ。
思い返せば今を去る一〇年ほど前、日経俳壇の黒田杏子氏に
死者のこともう忘れよとダリア咲く
という母哀悼の句が選ばれたので、意を強くして毎週じゃんじゃん投稿していたのだが、それっ切りで全然選ばれない。頭にきて放置していたら、「ハガキでなくてネットでも投稿可能」に規定が変わったので、よおしこれならお手軽にできるぞ、とまた投稿をはじめたんだ。
ところがくだんの黒田嬢ならぬ黒田婆は、「ネットでの投稿は認めない」という偏屈女、もしくは古式豊かなインテリおばさん。仕方なく短歌路線に切り替えてときどきトライしていたら今日の「重い崖無い」吉報が舞いこんだという次第です。で、くだんのお作は
障碍の息子を持ちて身につけし障碍の子を見つける速さ 蝶人
というきわめて個人的な事情をそれこそひそかにつぶやいてみたものだが、わたくし的には最近余り良い事がなかったので、それなりに心が晴れたうれぴい一日でした。
そもそもこの穂村選手が小生の拙い短歌を選んでくれたのはやはり今からおよそ一〇年程前のこと。当時マガジンハウスで編集者をしていたSさんに誘われて、彼が主宰するネット短歌会『猫又』の「夏の思い出」というお題に
ひとしきり手のひら這いし黄金虫やがて消え行くゆきあいの空
という歌を投じたらがいきなり選ばれてうれしかったなあ。(これは角川ソフィア文庫「ひとりの夜を短歌とあそぼう」所収)。同じ『猫又』で穂村選手に選ばれた作品は、他にもあって、
朝寝して宵寝するまで昼寝する槿の下のムクになりたし
「狂犬病の注射に出頭されたし。佐々木ムク殿」と鎌倉保険所は葉書を寄越せり
くれないの琉球絣ひらひらと陋屋を行く隠者がひとり({くりひろい}の折句)
黒髪のりんどう娘ひめやかに路銀数えぬ一夜の宿に(同上)
などを選首していただくたびに、狂気でもなく凶器でもなく狂喜していたのだが、
耕ちゃんがもし障害児じゃなかったら眞とは別れていたよと美枝子いいけり
という涙なしには読み返せない世紀の迷作は、関川夏央著「現代短歌そのこころみ」(NHK出版)において関川選手拍手喝采絶賛の上で再録されている。なんちゃって。
思えば流星幾星霜、わたくしが生涯はじめて歌らしきものを舌上に転がらせたのは、当時鎌倉は長谷の海岸近くの旧鈴木清順邸に住んでいた、のちにわたくしの妻君になる人の住居を訪ねた折のことで、わたくしが
鎌倉の海のほとりに庵ありて涼しき風のひがな吹きたり
と詠んで悦に入っていたら、当時わたくしの勤務先の総務課にいらした俳人の井戸みづえさんが、「たり」より「おり」の方がいいわよと助言してくださった。その時はふふんと嘲笑って長く顧みなかった生意気なわたくしであったが、最近ようやく先達の彼女の意図が成程と呑み込めたことであったわいな。
鎌倉の海のほとりに庵ありて涼しき風のひがな吹きおり
んで、今後のわたくしとしては、今日の日を区切りに、一連の愛犬物やまたかと嘲弄されそうな障碍物を遠く離れて、俳句にしろ短歌にしろ自由詩にしろ、自分ならではの雲古無手勝創歌流の只一筋の道を人知れず歩み続けたいと念じておる次第であるんであるんであるん。
風に向かいてわれ歌を放つ唄をうそぶく 蝶人
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