Tuesday, June 05, 2012

ドナルド・キーン著「続百代の過客」を読んで




照る日曇る日第518回

前巻に続いて本書で取り上げられたのは、万延元年1860年に日米修好通商条約を批准するためにアメリカ合衆国に渡った村垣淡路守の「遣米使日記」にはじまり、明治42年1909年に中央公論に発表された永井荷風の「新帰朝者日記」で終わる日本人によって書かれた32種の日記類であるが、いずれもできたらすべて原著に当たって隈なく目を通したくなってしまうほどの無類の面白さである。

冒頭の村垣淡路守や夏目漱石が異国の風俗習慣文物等に対して、(私と同様)苛立たしい拒否反応を示しているのに対して、「奉使米利堅紀行」の木村摂津守や新島襄、津田梅子、私の大好きな成島柳北、鴎外、荷風などはごく自然に西欧世界になじんでいるのが羨ましい。西欧に憧れたり同化を願ったりする知識人の多くが、同胞であるアジア人や黒人を一段低く見ているなかで、アイヌをこよなく尊敬し友愛をはぐくんでいた「北方日誌」の松浦武四郎は、まさしく時代を超越した本当のコスモポリンタンであったと思う。

西欧文明との接触の仕方は別にして殊に興味深いのは明治の自由主義者、植木枝盛の日記である。そこで彼は自らを天皇に擬して己を「朕」と呼び、京の芸妓に民権踊りを教え彼女たちと果てしなき性交を繰り返しながら日本革命の夢を見ている。羨ましいことに、彼の性的放縦と自由主義イデオロギーはなんの矛盾もなく一体化していたのである。

性的な記述に関しては「一葉日記」や石川啄木の「ローマ字日記」がつとに知られているが、圧巻は徳冨健次郎の「蘆花日記」で、ここで穴の毛端まで包み隠さず開陳されたその旺盛な性欲は、彼の女性に対する暴力や兄蘇峰に対する強烈な憎悪とともに、一読して容易に忘れることができないだろう。

また国木田独歩の「欺かざるの記」は、正岡子規の晩年の有名な3つの日記と並ぶ明治日記文学の傑作であるが、若き日にワーズワースのリリック「The Idiot Boy」を読んだ独歩が、ここに登場する母親と知的障碍の息子の無償の愛に感銘を受けて彼の短編「源おぢ」を書いたのではないかという推察は、「さすがは鬼怒鳴門!」とその学者魂に強い感銘を受けたことだった。

いずれにせよ正続2巻の「百代の過客」は、これを読まずに泉下に沈めば大いに後悔すること請け合いの文芸文化遺産である。


滑川に平家蛍乱舞す七時半 蝶人


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