照る日曇る日第519回
そもそも夫婦というものはあかの他人であるからして、喜びも悲しみも幾年月、いくら相思相愛で結ばれようが長い歳月が経過する中でいろいろな葛藤が水の中に水素が湧くがごとく、空気の中に酸素が噴き出すがごとく生起して、とうてい予定調和の一筋縄の結着をみるわけにはいかない複雑怪奇の関係性をけみするはずのものであるが、相思相愛どころか最初からボタンの掛け違った場合は、それがいっそう甚だしいのであろうか、いやそれとも案に相違して南極と北極ほどもかけ離れていたはずの両極端の男女が琴瑟相和して好々爺孝行婆となりおおせてあんきに生涯を終える例も枚挙に遑これなく、いずれにせよ夫婦生活の真相は当該の夫婦自身にも杳として不明というのが世の常であったが、そこに登場したこれなる実録ゴキュメンタリー的私小説では作者と凡そ半世紀に亘って連れ添うた細君との痛恨の決別がその出会いの「野合」の日から始まって72歳で癌でみまかるまでの47年間のあれやこれやがCe qui n'est pas clair n'est pas françaisの代名詞である仏蘭西の哲学者アランのプロポのような明快さで縷々述べられ、それはまた作者による愛妻の介護録であると同時に半自叙伝にもなっており、少し冷静に距離をおいて己を他人のように観察する鋭さと冷たさはカサノヴァの回想録の筆致を思わせるのだが、読む者は彼ら2人があるときは愛し合いまたあるときはニルアドミラリな様相に陥りつつもかろうじてどこかで赤い1本の紐で繋がっていることを確認しておおいに安堵し、またあるものは、この腸ガンを患った女性が4年10カ月の間に腹部を2度、脳を2度手術され最後は体重25キロを割った状態で召されたことに一粒の涙を灌いだりしながらああ人生は大変だなあ、夫婦を続けるって大変なことなんだなあとなどと呟きながら何故だかドガの「眠れる子供」の挿絵が飾られた嵩高紙の226頁を恭しく閉じることだろうが、おやおや表題のKとは作者の妻君で本名は福井桂子という詩人であったことをつい書き忘れてしまうところだった。
細君と峠の湧水を訪れて手足あるオタマを返しやりけり 蝶人
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