Monday, January 16, 2012

津村節子著「紅梅」を読んで

照る日曇る日第484回

作家である夫吉村昭の発病から死までを、同じ作家である妻が、事実にもとづいた小説にしたもの。舌ガンの治療の途中で膵臓ガンが発見され、その手術が行われた結果膵臓全体と十二指腸、胃の半分を失った夫を懸命に看護する妻の真情が随所で伝わって来る。

その日録の通奏低音はマーラーの「大地の歌」の生も暗く、死もまた暗いという陰陰滅滅たる黄泉の国の調べ。この夫婦の周囲では多くの人々がガンで斃れているのだ。

終始冷静な筆致で描かれてきたこのドキュメンタリータッチの私小説は、最後の最期になって大きな衝撃と動揺と共に劇的な転調をみせる。突如夫は「もう死ぬ」と告げて胸に埋め込まれたカテーテルポートを引きちぎる。それはこれ以上の延命治療を拒んだ作家の決死的な行為、というよりどこか渡辺崋山を思わせる潔い侍の自裁であった。

完璧な遺書をあらかじめ用意し、自分の文学館を作りたいといって来たある町の役人に対して、そういう目的のために税金を投入するのは恐れ多いといって辞退するこの作家は、おのれの恣意で周囲に迷惑を及ぼすことを好まず、人並み外れた廉恥の心の持ち主だったのだろう。

 死を待つのではなくみずから死を準備し、実行し、無意識のうちに南枕を北に変えようと身をねじる夫の姿は壮絶なものがある。しかし「残る力をふりしぼって身体を半回転させたのは情の薄い妻を拒否したからであり、自分はこの責めを死ぬまで負ってゆくのだ」と書く妻は、少し自分を責めすぎではないだろうか。

わたしはあえて言いたい。「節子さん、それはあなたの考え過ぎです。ご主人は混濁した意識の中で誰の助けも借りずに死者になろうとしたのです。あなたは最後まで妻としての義務を果たしたのですよ」と。


幸福は妻と並んで山崎のこもれびプールで平泳ぎする朝 蝶人

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