照る日曇る日第479回
本書が誕生したきっかけは、著者がある日編集者に「現代は呪いの時代である」と呟いたからだそうだ。これを切り口にして「婚活」「草食系男子」など「日本辺境論」以降の日本および日本人の動向や病根や震災や原発に関する著者独自の文明論が続々と繰り広げられていくのだが、それはぜんぶ本書を読んでのお楽しみということにしましょう。
それで最初に戻って現代は呪いの時代かと自問すれば、わが国は平城平安の時代からずずっと呪いを基軸にして社会全体が変転してきたのだと考えられ、平成の御代になって急に呪いが時代のキーワードになりあがったのではけっしてない。呪いとそのフォローがなければ古事記も日本書紀も源氏物語も平家物語も太平記も法隆寺も北野天満宮もけっして正史に登場しなかったし、本邦の光輝ある文化文明の本源はじつにこの呪いにあるのである。
翻って我が身を顧みれば呪いこそが知情意を牽引し、そのダイナモ役を仰せつかってきたことは火を見るより明らかである。胸に手を当てて静かに考察すれば、呪いの前には優秀な他者への絶望と羨望と嫉妬が先にたち、これの不可能を知るに及んでおもむろに恐るべき呪いの発動がやってくる。
呪いは人間として最悪最低の悪い意志、否定的な情動であるが、いちばんよくないのはその核心部分に他者の全面否定と破壊と殺意が内蔵されているからである。他者への憎悪と殺意は己自身を猛毒で傷つけるのみならず、未来への希望と世界への友愛を損傷し、その挙句に、人を呪わば穴ふたつ。呪う人はみずからも墓穴を掘るのである。
著者は本書で閉塞状態にある社会と暗欝な人心に光をもたらすものは、「おはよう!」「こんにちは!」など祝福の言葉の交換交流と、クールな市場の「交換経済」から友愛あふれる「贈与経済」への転換であると力説しているが、密室の奥でどす黒い呪いに自縄自縛されているわたくしの耳目には、それがどこか遥か彼方の夢物語のように響くのであった。
資本主義でもない社会主義でもない公正主義を空想す 蝶人
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