照る日曇る日第481回
クラシックとジャズに一家言ある作家だからこういう対話集を出してもおかしくはないが、それが小澤征爾とはちょっと意外だった。なんでも村上氏の細君と指揮者の娘さんが仲良くなって家族ぐるみの交際をするようになった副産物らしい。あんまり期待もしないで読み始めたのだが、これが意外なことにとてもおもしろく、あっという間に読み終えて、新年早々良い音楽を聴いたときのような軽い幸福感を味わうことができた。
対談と言ってもほぼ100%小説家が聞き手です。くだんの音楽家に3回ほど時間をとって比較的素朴な質問を発すると、それに音楽家が一生懸命誠実に答える。そのあとでテープの録音を小説家が丁寧にリライトしたものなのであるが、プライベートな時空間における対話であることと、聞き手の切り口が単純で明快で率直にして巧妙なために従来のインタビューや対談からはとうてい聞き出せなかった音楽家の偽らざる本音が、音楽と生活の両面にまたがってじゃんじゃんとこぼれおちる。私のように小澤の音楽をてんで評価しない冷たい人間にとっても望外の収穫がありました。
特に精気がみなぎるのはレコードやCDやDⅤDを視聴しながら2人で感想戦?を戦わせるくだりで、50年代にグールドとバーンスタインやカラヤンが入れたベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番のレコードを聴きながら、今は亡きグールドや現役の内田光子の天才やゼルキン父子の思い出を今ここに流れている音楽に即し、ともにスコアを見ながらあれこれ具体的に語るところはものすごく説得力がある。私も彼らと同じ音源を流しながら彼らの発言を読んだが、小澤本人はもちろんだが村上春樹の音楽の読みの深さには秘かに舌を巻いた。これあるから小澤も進んでみずからを開いたのだろう。
マーラーやサイトウキネンやウイーン国立歌劇場、スイスのロール(ゴダールの居住地!)で開催されている国際音楽アカデミーのマスタークラスについても知られざる情報がてんこもり。師事したバーンスタインやカラヤンとの生々しいエピソードはもちろんだが、世界中の行く先々でオーマンディーやベーム、クライバー、ルビンシュタイン、ヨーゼフ・クリップス、ポネル、パバロッテイ、フレーニなどの音楽の先輩たちから与えられた数々の無償の好意と友情を授かったアジアの音楽快男児の持って生まれた幸運を思わずにはいられない。
小説家が、自分は音楽を作曲するようにして毎朝4時から小説を書いているとふと漏らす言葉も意味深い。そういえば漱石、荷風、潤一郎にしろ春樹、光代、弘美にせよ優れた小説家の文章の芯にはそれぞれに固有の音楽が流れているな。
倒れながらよくぞ電話をかけてきた正月6日義母92歳 蝶人
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