照る日曇る日第482回
これは日経新聞が公募したコンテストで見事グランプリを獲得した小説です。選者の中に縄田なんとかというひじょうにいかがわしいひょーろん家がいるので眉つばで読みだしたのですが、いまどき珍しい史実とロマンを表題の香り高い植物に結実させた秀作でした。なるほどこれならゆうに賞金1千万円に値する作物です。
私はよく知らなかったのですが、世の中には種子の遺伝子情報を売買する種苗産業が国際的なМ&Aを繰り広げていて、たとえば韓国では1990年代に財政破たんした際にキムチ用の固有の白菜、大根の遺伝子情報を持つ種苗会社が欧米系の種苗コングロマリットに買収されてしまったそうですが、そんなこととはつゆ知らず私たちはキムチを美味しく頂いているわけです。
沈黙の遺伝子帝国とも言われるそんな日本の種苗会社に勤務する商社マンが、偶然英国の田舎で日本風の庭園に出会い、庭園の女主人から手渡された150年前の先祖の古びた手記を開くと、そこに登場するのはアーネスト・サトウを思わせる英国の外交官と彼に日本語を教授する謎の美しい大和撫子……。幕末の動乱を舞台にした海を越えた激しく、そして清らかな恋の物語のはじまりです。
結局恋する2人には哀しい結末が待っているのですが、そのロマンスを折に触れて彩るのが本作のタイトルにもなった日本原産の野いばら(野薔薇)。春にはむせるような甘美な芳香と共に白く小さな無数の花弁を付け、秋には深紅の果実を付けるこの美しい植物は、ちょうどこのころに欧米に移植され、後にさまざまな交配を経て今日私たちが薔薇としてめでる華麗な飛躍を遂げるのですが、著者はそんな歴史的事実を踏まえつつ、いわばつぼみの時代の花と人間と国家の象徴としてこの海を渡った植物をいとおしく描写しています。
2人の主人公が囁いたように、あらゆる植物の中で小輪の野薔薇ほど美しいものはない。
それが毎年拙宅の壺庭の上に崖から咲き下る可憐な花をうっとり眺めている私たち夫婦の実感でもあります。
野薔薇咲く崖下の家に棲みにけり 蝶人
異国に咲きはかなく散った燃える恋百五十年後も匂いは失せず 蝶人
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