照る日曇る日第483回
マイケル・ティルソン・トマス指揮、サンフランシスコ交響楽団演奏会のFM放送を聴きながらこの駄文を書いているところ。ヘンリー・カウエル作曲「シンクロニー」の演奏が終わって、今度はクリスティアン・テツラフの独奏によるアルバンベルクのバイオリン協奏曲が始まったが、クールなくせに甘い素敵な演奏だ。いかにもサンフランシスコらしい渋い味を出している。
この小説の舞台は、その北米の都市の北に想定された古き良き時代の架空の街である。この逃げた女房に未練たらたらの子連れの住民ゾイドが、生活保護金めあてにショップのショーウインドウに突撃する1984年夏のシーンから始まって、物語は彼らが黄金色の革命伝説に青春を燃やした60年代、その幻想が露と消えたニクソンの70年代、国家主義が肥大してゆくレーガンの80年代を、その胸奥の苦い記憶を断ち切ろうとするかのように怒涛のように回想し、またしても酒歌女マリファナ乱交の悪夢を再来させながら、LAからハワイ、東京からヴェトナム、メキシコからハリウッド、ラスヴェガス、そしてまたヴァインランドへと登場人物たちを遍歴させ、ひと度は幻視した世界がよみがえる美しい夢を、自虐的に再生しようと虚しくも試みている。らしい。
醜悪な現実が犯した途方もない愚行を、作者はおのれの大脳前頭葉が全面展開させたこれまた途方もない壮大な虚構と対比させ、「さあどっちが真実だ。ほらほらこっちの方がほんまもんの正史じゃろが」とすごんでみせているようだ。
ふと気が付けば、マイケルとサンフランシスコ響はベト5の太鼓を狂ったように乱打しているぜ。
全ての国に一個ずつ原爆与えてその直後一斉廃棄すればどうでせう 蝶人
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