照る日曇る日第487回
大阪市民の絶大な支持を受けて市長に就任した橋下氏の政治手法について内田樹、香山リカ、山口二郎氏などがこもごも批判しています。
私は橋下氏が府と市の経費の重複を無くしようとしていることには反対しませんが、教育に偏屈な政治的イデオロギーを持ちこんだり、旧軍隊的規律と上意下達の中央集権的介入を強行したり、市場競争や経済効率論理を導入して大阪府・市の教育基本条例を改訂しようとするような独裁的で夜郎自大な手法には反対です。
我々がこよなく愛するこの自由な国家ではいつでもどこでも誰でも自由な見解の表明を妨げられず、時の権力者に反対したりげんざいの国歌や国旗に異議を唱えたり起立を強制されても罰せられるはずがなく、気に喰わなければ黙って座っていることも許されますし、それを非国民だと罵る人こそが本来の意味の非国民なのです。
橋下氏がしようとしていることについて内田氏は、宇沢弘文氏の「教育=社会的共通資本論」を引き合いに出し、共同体の存立にかかわる自然環境、社会的インフラ、教育、医療、司法、行政に対する政治の中央集権的介入を強く戒めていますが、これはイデオロギーの左右を超えた常識というべきで、政権が交代する度に学校のカリキュラムや医療システムがころころ変わっては国民はたまったものではありません。
政権が交代しても物事が劇的に改革改善されないために、早くも民主党に幻滅してとっくの昔に政治生命が終焉したアホ馬鹿自民党への回帰を妄想したり橋下氏一派を軸とした新政治勢力に過大な期待を寄せたりするドンキホーテな人たちがいるようですが、民主政治というのは膨大な討議と時間と経費を蕩尽し、果てしない議論と辛気臭い交渉と不条理な妥協と紆余曲折を経ててやっとこさっとことおちつくところに落ち着く誰もが不平と不満を抱かざるを得ない超不完全なシステムだということが戦後60年以上経過してもまだ理解されていないようですね。
これに激怒したり愛想を尽かしておのれの主体的な思考を放棄して、ヒトラーもどきのチンピラに運命の下駄を預けたくなる気持ちも分かりますが、なに2年もすれば化けの皮がはがれるはず。ハシズムなどと慌てず騒がず放置しておけばよいのです。
不満あり無力なりされどわが荷物を橋の下に投棄せず 蝶人
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