降っても照っても第19回
小西甚一さんが91歳で逝去された。91年に刊行された彼の「日本文藝史」はドナルド・キーンの大著「日本文学史(のちに改訂新版「日本文学の歴史」)に対抗して書かれた規模雄大な大著だが、細部はキーンのがほうがおもしろい。されど私は文学史は小西甚一の「日本文藝史」、文学論は漱石の「文学論」、この2冊があればあとは要りません。
さようなら小西さん、あなたから受けた学恩に感謝します。
もうひとり昔からお世話になってきた吉本隆明さんの「真贋」を読んだ。行き悩んだおりおりにいちばん聞きたい声のひとつが常に彼であったが、いまやその声音のなんと力弱く曖昧模糊としたものになったことよ。
子供は乳幼児期から前思春期までの母親との関係が絶対的に重要で、母と引き離されたから三島由紀夫の不幸は運命付けられていたという話や、主題を限定した場合の好き嫌いが、その人に対する全人的な好き嫌いの評価になりがちだという指摘、「業縁」があれば一人も殺せないと思っている人でも千人殺すこともある。「だから悪だから救われない、善だから救われるという考え方は間違いだ」という話などは、なるほどと思った。
また「文句なしにいい作品というのは、そこに表現されている心の動きや人間関係というのが俺だけにしか分からないと読者に思わせる作品です」というのも、素直にうなずける指摘である。
しかし「戦争に良いも悪いもなく、すべての戦争が悪である」と彼が断言しても、その戦争を無くすための具体的な提言は聞かれない。さらには「まずはどうでもよさそうなことから考えてみる」というのだが、それはどういう意味なのだろうか。「これまでとはちょっと違う部分を見る。そうしたことで少しは世の中の見方が変わっていく可能性があるかもしれない」などと頼りないことを言われると、こっちも不安に駆られる。
氏は例によって例のごとく、「天皇は神主の親玉であり、神社に露天が並び、我々が神社のお祭りで金魚すくいをしにゆく気持ちがある限りは天皇制はなくならない」などというが、起源を見ればものの本質が分かるというお得意の逆説的で一面的な言説を、あたかも最終結論のように語っていいのだろうか。
思えば彼は昔からマルクスや小林秀雄張りのそういう“本質還元的な詔”をさしたる根拠も証明もなく渙発し、それで複雑怪奇な現象が解決できなくなると重層的非決定?などという屁理屈を発明して遁辞してきたのではなかっただろうか?
彼にあっては、欧米が先進的で我々がアジア型農本主義的であるから、そのうち我ら貧民もいずれの日にか成熟するだろう、というような維新以来の脱亜入欧風のアプリオリな論理が、このごに及んでもまだ鉈や斧のように振り回されている。
そして最後の言葉は以下のごとし。
「もしかすると人類はだめになる危険があります。よさそうでかつ害のなさそうなことをやる、小規模でもやっていくということ以外にこの新しい時代に対処する方法はないように思います。ひとつはっきり言えるのは、いいことをいいと言ったところで無駄だということです。それは歴史が何回も証明してきました。いいか悪いかではなく、考え方の微細な筋道をたどっていかないと、解決の糸口を見失ってしまうでしょう。何はともあれ、いまは考えなければならない時代です。考えなければどうしようもないところまで人間がきてしまったということは確かなのです。人間というのは善も悪もやり尽くさない限り新しい価値観を生むことができないのかもしれません。いま行き着くところまできたからこそ、人間とは何かということをもっと根源的に考えてみる必要があるのではないかと思うのです」
私たちはもう既に十分すぎるほど十分に善も悪もやり尽くしてきたと思うのだが、この人はいったい何を寝言を言っているのだろう? これでは武者小路実篤ではないのか? 彼はかの明敏な前著「詩学叙説」を書いた人と同一人物なのだろうか?
でも私はこの“思想界の巨人”に対して「主題を限定した場合の好き嫌いが、その人に対する全人的な好き嫌いの評価」につながるような態度を示したいわけではない。
ただ、かつては空高く仰ぎ見た孤峰が、今では近所の里山のように映るこの私の目が、我ながら信じられないだけの話である。
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