Friday, June 22, 2007

ある丹波の老人の話(32)

妻はどこまでも父に親切でした。

独りでは寂しかろうと福知山の実家に相談して、身内から後家さんを連れてきて一緒にし、離れの一室をあたえて寝起きさせたんでしたが、二年ほどすると女が病死してしまいました。

すると今度は町内のさる後家さんに話して、西本町裏の小さい家に住んでもらい、そこへ父を同居させ、生活費全部をはろうて所帯をもたせてやったんでした。

その間は父も気安く私の店に出入りして、夷市などで忙しいときには、ずいぶんよく手伝いもしてくれました。

ところが、父と同居しておった未亡人が息子の朝鮮移住についていってしまいよりました。そのとき父はすでに七十を過ぎておったので私の家に引き取りました。

それからは父は孫娘の守などをしてよいおじいさんになりきり、昭和四年四月に七十五歳で亡くなったんでした。

最後の二年ほどは盲目になったんで楽しみにない父を慰めようと私はいち早くラジオを買い求めました。当時綾部にも福知山にもまだラジオは珍しく、大阪からやってきた技術者が五晩泊りで私の家に取り付けてくれました。

郷里の町では郡是、三つ丸百貨店に続く3番目でした。そして父は私の信仰に倣ってキリスト教に入り、死の前年に岡崎牧師から洗礼を受けたんでした。

今から思えば、それはどうすることもできん宿命的なものではありましたが、私はあまりにも父を憎み、父に冷たかった。 
落ちぶれ果てて隠岐から帰ってきたとき、もし妻がいなかったら、私は父を家に入れなかったかも知れない。

「おらが女房をほめるじゃないが」私は死んだ先妻に感謝せないかんことがぎょうさんあります。なかでも私が冷酷であった父に対して私の分まで孝養を尽くしてくれて私に不孝のそしりをまぬかれ、不幸の悔いを残さなんだことに対しては、妻に最大の感謝をささげたいと心から思う次第であります。            (第五話「父帰る」終)

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