Thursday, June 21, 2007

ある丹波の老人の話(31)

この冷たい私に対して私の妻菊枝は父に対してやさしかった。

食事を与え、着替えをさせ、暖かい寝床に横たわらせ、心から父をいたわりました。

そしてその後もけっして悪い顔などせずに機嫌よく明け暮れの世話をし、私に内緒で小遣い銭なども渡し、いつもきちんとした身なりをさせて大切にしたんでした。

ところが妻のこの仕打ちが私には苦々しかった。

「そんなにまでせんでええ」と口に出して叱ったりもしましたが、ひたすら父を哀れむ妻の純情にほだされて、さしもかたくなだった私の心も少しずつほぐれていったんでした。

父は隠岐にいた間のことをあまり話しませんでしたが、やはり腕に覚えのある桐の木買いをやりこれを加工して下駄の素材を作っていたらしいのです。

ところが運悪く火事に遭って焼け出され、おまけに連れて来た芸者にも逃げられ、よるべはなし、万策尽きてようやく松江に渡り、そこで歯医者をしていた吉美村出身の四方文吉氏に泣きついて旅費を借り、郷里まで帰ってきたらしいのです。

しばらくは乞食同様の見過ぎをしていたものとみえて体一貫のほかは一物も持たず、着のみ着のままの衣類は垢だらけシラミだらけで、これを退治するのに妻は往生したそうです。
(第五話父帰る第3回)

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