前にも述べたとおり、私の父は酒好き、遊び好きで、飲む打つ買うの三拍子をいずれ劣らず達者にやった人でした。ところがそれがいつまで経っても目が覚めず、四十過ぎても、五十子越してもまだやまず、かえってひどくなるというだらしなさです。
父はもともと商売上手と人にも言われ、世間の評判もよく、金も相当もうけてきたんでしたが、なにぶんお人よしで勝負事をしても人に取られるばかりでした。
勝負事といってもおもに花札などで本バクチには手を出してはいませんでしたが、そのくせ大きなことが好きで、米や株の相場に手を出して、またしても大穴をあけ、金のかかる女出入りも絶え間がありまへんでした。
こんな始末ですからよい目の出ようはずもなく、母が真面目に守っている履物屋商売もだんだんさびれ、借金は増える一方で家計は一日一日窮地に追い込まれていったんでした。そうして明治四十三年その火の車の中で、私の母は四十九才で病気で死んでしもうたんでした。
気の毒な母! まるで父に殺されたような母! 母をいとおしく思えば思うほど、私は父への憎しみが深くなるのをそうすることもできませんでした。
「母のかたき!」と私の父を見る目は日増しに険しくなっていきました。
母の死後ますますやけになった父は、もはや我が家にも郷里の町にもいたたまれなくなって、前にも述べたように大正元年に五十八のよい歳をして世間には内緒で若い芸者を連れて隠岐の島へ逃げて行きました。
私は父を舞鶴まで送って行きはしたものの、父に対する感情はとげとげしく、別れを惜しむ気持ちなどさらさらありまへんでしたし、それは父も同様でした。
前に触れたように、父を送って帰ってきた夜から、早くも債鬼は我が家に迫り、私を借金地獄に追い込んで私は貧乏暮らしのどん底で這いずり回ることになったんでした。
しかし幸いにも私はこの危機を辛うじて潜り抜けて借金もすべて返済することができました。私は家業に忠実な妻と共に下駄屋の商売も従来以上に回復させ、生活も安定させ、郡是株の強行買いが当たってだんだん好い目が見えてきたんでした。
その間私は自分のことにかまけ、父のことなぞすっかり忘れておりました。もとより父からは一度も便りはなく、人の噂にも聞かず、その消息もいっさい分からず、思い出す隙もなかったんでした。
ところがその父がひよっこり帰って来ようとは! 夢にも思わぬことでした。
(第五話父帰る第1回)
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