加藤廣著「明智左馬助の恋」を読む
降っても照っても第28回
この新人老作家の「信長の棺」は「信長公記」の作者太田牛一が本能寺の変の謎に果敢に挑んで大いに面白かった。
その次の「秀吉の枷」も本能寺と南蛮寺を結ぶ抜け道で信長が蒸し焼きになるように秀吉がたくらみ死に追いやったという、「嘘か眞か死人に口なし」という論証ヌキのはちゃめちゃな破天荒さでエラン・ヴィタールしており、かなり面白かった。
そこで大いに期待してシリーズ第3作の「明智左馬助の恋」を読んだのだが、これがどうにもこうにもいっこうに面白くなかった。残念じゃあ。
それというのもこれは光秀の義理の息子が知らず秀吉の大謀略に振り回されてあたら生涯の大望を棒に振るというお話で、前の2冊、いや3冊ですでにネタがばれているものだから、おおいに盛り上がりにかける。
著者も最後は観念したのか機械的に年代を追うのみ。
それでもさすがにラストの坂本城の夫婦愛と壮絶な切腹は力が入ったが、遅きに失した。げに「はじめは脱兎のごとく終わりは処女のごとし」とはこれをいうのであろう。
結局馬鹿を見たのはクソ真面目なキンカン頭の光秀だけという、世にも哀れな物語であったが、大器晩成型の著者の次作を期して待とう。
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