Wednesday, June 20, 2007

父帰る

ある丹波の老人の話(29)

大正五年の師走も近い冬の夜、丹波の小さな街には人声も絶え通りを吹きぬける寒い木枯らしがときおりガタガタと障子を震わせておりました。

真夜中近い頃、入り口の戸をホトホトと叩く音がしました。静かに、あたりを憚るように…。

「どなた?」と尋ねても返事はありません。

うっかり戸を開けて泥棒だと困ると思いましたが、そういう感じでもない。そこで思い切って妻と一緒に開けると、そこに立っていたのはなんと父でした。

父帰る! 

この寒夜に上に羽織るものもなく、四年みぬまに六十の坂を過ぎ、汚れた筒袖姿のみすぼらしい父が、しょんぼりと戸の外に立っておりました。

父はおずおずと敷居をまたいで中に入るなり、土間に身を投げ、くどくどと前非を悔いて詫び入るのですが、私の目には涙も浮かばず、私の口からはやさしいいたわりの言葉ひとつもれ出てこないのでした。                   
(第五話父帰る第2回)

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