Monday, March 12, 2012

ベルリン・フィルのデジタルコンサートを視聴して

♪音楽千夜一夜 第250回

最近は世界中のオーケストラがインターネットを通じて彼等の演奏をライヴ中継しているが、その白眉はやはりベルリン・フィルのそれだろう。しばらく前から始まったこの放送は1年間邦貨15000円程度で過去の膨大なアルヒーフを含めて自由に視聴することができるのであるが、さきごろ48時間無料のサービスがあったので、これ幸いとあれこれ視聴してみた。

まずは現在のシェフであるサイモン・ラトルのマーラーの交響曲をほぼ全部聴いてみたが、彼が以前英国のバーミンガム市響と入れた演奏と基本的には同じ解釈で、オケの性能が格段に上がっている点を差し引けばどうということはない。中途半端、前途茫洋とはこのことだろう。

ブラームスの交響曲ではかつてのカラヤン時代を彷彿させる重厚な低音を鳴らせていたが、こういう奏法では到底ライヴァルのティーレマンに敵う訳がない。内田光子とのベートーヴェンの協奏曲でも、彼女の妙に神経過敏な音楽づくりに引っ張り回されている無惨なていたらくであり、この人はまたしても大きな低迷期に突入したのではないだろうか。

一方ベルリンを卒業してルツエルンなどで自由に音楽を楽しんでいるクラウディオ・アバドのマーラーでオケの鳴り方からしてラトルとは大人と子供ほども違うのは、いかにスコアを読みこんでいるかの差が出るのだろう。絶品はアバドの棒でポリーニが弾いたモーツアルトの17番の協奏曲。小さな3つの楽章を持つ短い曲だが、私たちが自分の人世を生きるときに感受するささやかな喜びと深い悲しみをば、これほどいきいきと晴朗に唄い尽くした演奏も稀だろう。ラトルなんて青二才は、はなから勝負にならない。

所も同じフィルハーモニーで日本時間今月11日の7時から行われた早稲田大学交響楽団の演奏会もライヴで視聴しました。曲目はリヒアルト・シュトラウスの「アルプス交響曲」「ティル・オイレンシュピーゲル」がメインで、かねて私が高く評価するこのアマチュアオケは、かの腐敗堕落したN響を凌ぐ立派な技術と音楽性を示していたが、残念ながら交通整理のメトロノームの役割しか果たせない凡庸な棒のせいで、その真価を発揮できずに終わっていた。

せっかくの晴れの舞台で、どうしてこんな素人同然のファルスタッフ風の指揮者を登用するのかと不可解なり。それから昔ながらの和楽器を叩くジャパネスク風の人気取り曲や鈍感リズムの「ベルリンの風」などで観衆に媚を売るのも恥ずかしさの極み。こういう旧来の陋習は、それがいくら震災追悼記念演奏にしてもいい加減にやめてほしいものである。


外国でのアンコールといえば外山のラプソディチせめて武満にしてくれえ 蝶人

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