Tuesday, March 17, 2009

感傷的な日記

バガテルop91

昨日は久しぶりに東京に出ました。お世話になっている方が先日結婚式を挙げられ、おまけに新居も完成されたというので、長男が通っている施設で作った陶器を差し上げるつもりで紙袋に入れて駅までのバスに乗ったのですが、ここでまたしてもお得意のポカをやってしまいました。座席の隅に置き忘れてしまったのです。

それに気が付いたのは駅の改札を通り抜けてしばらくしてからのこと。急いで引き返しました。スイカ・カードを入口に駅員さんに見せ、「用事が出来たので電車に乗らずに外へ出たいんだけど」と言うと、20代前半とおぼしきその若い女性は、にっこり笑って「いいですよ」と言って入場料金を消してくれました。ほんとうはこのケースでは私がスイカを改札機にくぐらせて初乗り料金を支払わなければいけないのでしょうが、彼女は私にそうしろと言う代わりに格別の配慮を示してくれたのです。

改札口を出た私は、さっき降りたバスを捜しましたが見つかりません。焦った私がうろたえていると、京急バスの職員さんが、「どうかしましたか」と尋ねるので、「これこれしかじかで困っている」と説明すると、忘れものの形と中身を確かめてからすぐに携帯でバスの駐車場を呼び出し、「すぐにこちらに向かうバスがあるので、忘れものを持ってこさせます。あなたは5番のバス停のところでしばらく待っていてください」と言いました。

待つことしばし、「大丈夫かなあ」とやきもきしていた私の前に、突然さきほどの駅員さんが現れ、「忘れ物はこれですか」とくだんの紙袋を差し出しました。「そうです、そうです、これです、これです」と私はいっぺんで嬉しくなり、「ほんとうにありがとう。助かりました」と頭を下げますと、その30代後半の職員さんも自分のことのように喜んでくれ、丁寧に帽子を取って「いえいえ、うまく出てきてよかったです」と言いつつお辞儀をしながらにっこり笑いました。

しばらくして横須賀線の車上の人となった私の心のうちに、次第にほのぼのしたものがこみあげてきました。私は、いまさらながら「親切」ということを思いました。この人たちが私に対して示してくれた親切は、企業の規則やマニュアルに従った行為ではありません。ささやかではあっても、彼らの心の裡に生まれた自発的な行ないです。目の前で人が困っている。だから助けてあげよう、という素直な気持ちです。それが私の心に響いたのです。

「小さな親切 余計なお世話」という言葉もありますが、この世知辛い世の中でさりげなく小さな親切を実行する人たちは間違いなくこの世の宝であり、社会の根っこを支えているはずです。その証拠に、昨日私が直面したトラブルを昨日の二人のようにさりげなく処理する国など、おそらく世界中のどこの国にもないでしょう。

まさに「小さな親切 大きな感動」ですね。こうして久しぶりに拙い日記を綴りながら私にとってつくづく昨日は格別に良い日であったことが振り返られ、それと同時に、その恩返しということではないのですが、私もできるだけ人には親切にしよう、と殊勝にも思ったことでした。


 ♪春の朝甲本ヒロトシャウトせり人には優しく 茫洋

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