Thursday, March 19, 2009

アーサー・ウェーリー英語訳・佐復秀樹訳「源氏物語3」を読んで

照る日曇る日第244回

アーサー・ウェーリーによる源氏物語は谷崎などの翻訳とは一味もふた味も異なっていて、物語の進行速度がはやい。物語の推進を邪魔する枝葉の部分を大胆にカットしていること、紫式部が念入りにこさえた、どこが頭でどこが尻尾か分からない海鼠のような文章を、ここが主語、ここが述語、ここが形容句という風に因数分解して、抜群によく切れるナイフで整除しているために、そういう爽やかで明快な印象が際だつのである。

進行速度ということでは与謝野訳が早い方だが、仮にこれをモデラートとすると、ウェーリーはアレグロ、谷崎はアダージオというところだろうか。調子に乗ってもっと音楽に喩えると、谷崎版はフルトヴェングラー、ウェーリー版はトスカニーニ指揮のテンポで、この世界で3番目に偉大な交響絵巻を演奏している感じがする。(ちなみに1番は旧約聖書、2番はシェークスピア、3番の同着はプルースト)

この第3巻で源氏はあっけなく息を引き取り、物語は彼の息子の世代の活躍が始まるのだが、その疾風怒涛のプレストが、逆にこの不世出の大恋愛家にして大心理家の喪失の悲しみをそそっているのかもしれない。

葵上も、紫も、夕顔さえもが六条の御息所(「みやすんどころ」と読む)の怨霊に執拗に祟られてとり殺され、その恐るべき悲嘆が源氏のいのちを奪い去る。そしてその怨霊の呪いと祟りを当の御息所にさえ制御できなかったとすれば、平安時代の貴族や民衆の精神を支配していた魑魅魍魎の無量の闇の深さはいかばかりであったろう。

宮中を華やかに彩った美人も才子はもことごとく姿を消し、今年もまた紫の上があれほど眺めたかった桜が咲こうとしている。そして、その春の梅や桜の花々を目にした私たちは、あの美しく貞潔だった紫の儚い生涯と行方も知らぬ後生をゆくりなくも偲ぶことになる。思えば紫式部はなんという驚異の物語を遺したものだろう。

♪こぞの花いずくにありや春の風 茫洋

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