照る日曇る日第239回
「夏の呪文」「闇の乳房」に続く最新の第3詩集が本書である。
北の国で積み重なった幾星霜が、この詩人の思想をさらに深く沈潜させたのだろうか、その詩的世界はますます豊穣な収穫を生み出しているようにみえる。
例えば「吹雪がぴたっと止んだ夜 急にまたたき始めた星に気をとられて転んでしまった」という詩句から始まる「地底びと」を見よ。
地下鉄工事現場の覆工板から覗いた野戦病院のような灼熱の空間には、上半身裸の赤銅色のたくましい腕に青の薔薇のタトゥーをした男達が地底を掘り進めており、縄梯子を伝ってさらに下っていくと、青い海の底の部屋で籐の椅子に腰かけた若い女性が薄桃色のケープを編んでいて、よく見ればそれはいまは亡き母の姿であり、わたしはいつの間にか母となり、母はわたしと化してしまう。
さりげない日常のささやかな割れ目からするすると異界へ忍び込むと、過去の思い出や、忘れ難き幻影、懐かしき面影が茫洋と立ち上がり、詩人は遭遇した他者や「もの」たちへといともたやすく憑依して、軽々と自己滅却と自己再発見の旅へと旅立つのである。
そしてそのあとに残される風景とは、次のようなものであり、ここに詩人の詩作に対する秘法と、生の基本的な枠組みが一挙に示されているように思われる。
「もうそのひとはいない 覆工板の
間からあかあかと光が洩れているだ
けだった 地底びとよ 燃える水の
神殿に沈んだ者たちよ 地を這うわ
たしを身守れよ わたしが地の底の
眠りにつくまで 海の母乳をむさぼ
る嬰児となるまで――」
ちなみに、著者は詩誌「極光」同人で日本現代詩人会、日本詩人クラブ、北海道詩人協会の会員である。
金はないのに無茶苦茶に無駄遣いしたくなる 茫洋
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