Tuesday, March 03, 2009

半藤一利著「幕末史」を読んで その2

照る日曇る日第234回


明治6年の征韓論騒動は、林子平、会沢正志斎、吉田松蔭、橋本佐内、藤田東湖など多くの幕末の憂国の志士達の衣鉢を継いだ西郷明治政府が引き起こした国権拡張運動だが、
大久保などの非征韓論派に反対にあって引きずり降ろされた年末に、その西郷どんが、

白髪衰顔 意とする所に非ず
壮心 剣を横たえて勲なきを愧づ
百千の窮鬼 吾何ぞ畏れん
脱出す 人間虎豹の群

などと悲愴な漢詩を詠んでいるところをみると、やはり本気で討ち死にするつもりだったのだろう。

しかし西郷を下野させたその大久保が、不平士族などの怒りを国外に解消するべく「琉球人(日本人にあらず)の保護」を名目に台湾出兵を強行するのだから、征韓論者と選ぶところはない。どっちもどっちの海外覇権侵略主義者輩の蛮行であり、これの延長線上に日清、日露、大東亜戦争の悲惨があった。逆に言うと明治時代の台湾、朝鮮への出兵、武力進出がなければ大日本帝国の成立はなかった。

わが国を地獄の底まで引きずり込んだ元凶は、軍隊による統帥権の独立独占であるが、著者によれば、これは悪知恵の働く山県有朋の陰謀によって明治22年の明治憲法発布をさかのぼる明治11年12月5日にすでに確立されていた。「国の基本骨格のできる前に、日本は軍事優先国家の道を選択していた」のである。

歴史に「たられば」はないけれど、しかしもしも著者が説くように、ペリー来航以来攘夷か開国かで大揉めに揉めていた大騒動が、1865年慶応元年10月に晴れて結着した段階で幕府と朝廷が1つに結束し、薩長などの尊皇攘夷派が暴力による倒幕運動に乗り出さなければ、少なくともあの無意味で悲惨な内戦だけは避けられただろう。


戦争と夫婦喧嘩はいともたやすく開始されるが、その終息ほど困難なものはない。茫洋

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