♪バガテルop59&鎌倉ちょっと不思議な物語129回
きのう滑川を歩いていて、思い出したことがあります。
今を去る10年ほど前、愛犬を散歩させていた私は、ふと油断した隙に、年老いて既にそこひを病んで盲目になっていたムクを、あろうことか足元の滑川に墜落させてしまったのです。
ドさっと鈍い物音が聞こえ、あわてて下を見ると薄茶色の綿毛が浮いた人間に換算するとおよそ80歳になんなんとするその老犬は、固い岩盤の上に座り込んでおろおろとうろたえています。
「おい、ムク、大丈夫か」と声をかけましたが、ムクはワンとも答えず、がたがたと震えておりました。もしかするとどこかに大怪我をしてしまったのではないか? 突然の衝撃で、このまま死んでしまうのではないだろうか?
すまなさと自責の念に駆られた私は、きっと青ざめていたと思います。しかしこうしてはいられない。すぐに自宅にとって返して真鍮の梯子を持ってきましたが、短すぎて川底まで届きません。
仕方がない。えいやっと飛び降り、恐怖と不安で震えている盲目のムクを抱きかかえ、急いで手足を調べてみましたが、幸いなことにどこも怪我などをしていない様子。やれやれこれで命だけは取り留めた、と私は思わず天に感謝したことでした。
そうこうするうちに頭上が急ににぎやかになってきました。近所の住人たちが妙な場所にいる私たちを案じてのぞきこみながら、
「あら、まあ、ムクちゃんじゃないの。いったいどうしたの」
などと口々に声をかけてくれます。
事情を察した“しまわん”さんが、すばやく家にとってかえして、大きくて長い木の梯子を道端から川底まで降ろしてくれたので、私はムクをしっかり胸に抱えながら一段一段そろそろと上にのぼりました。長い間お風呂に入らないムクの体は思いのほか重く、獣のにおいがぷんとしました。
やっとの思いでガードレールを乗り越えると、私はムクと一緒にどうと道路に転がり落ちましたが、ムクはなんとか無事に生還したのでありました。メデタシ、メデタシ。
しかしその後、私が飼い主の健君と家内にひどくおこられたことは申すまでもありません。
その後ようやく元気を取り戻したムクは、どこからともなく現れた三毛猫子と同棲しておりましたが、それから数年経った2002年の2月に天寿を全うし、WANNG!と一声発して地上の星となったのでありました。
ひとつ描きひとつ売れまた描き続く絵描きの暮らしは過酷なるかな 茫洋
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