Sunday, May 25, 2008

萩原延壽著「自由のかたち」を読んで

照る日曇る日第125回

60年代のわが国にはまだ革新勢力が存在し、時折保守勢力を脅かすに足る活動を行なっていた。そしてここには、もしも彼らがもう少し政治家として有能で国民の心をつかむ技術を備えていたら、その後わが国は今日とは180度異なる道を歩んでいたかもしれないことを思わせる「古き良き時代」におけるいくつかのエッセイが並んでいる。

70年安保を実体験することなく英国の留学から帰国した著者は、英国労働党首のゲイツケルの政治哲学に感銘を受け、わが国の社会主義運動に対してもほのかな期待を寄せていたが、革新政党を名乗る彼らが、むしろ保守政党に比べても言葉の本質において革新的(ラジカル)ではないことを痛感して絶望し、次第に遠ざかっていくのだが、筋金入りの孤独な自由主義者が歩み去るその後姿は妙に寂しい。

当時著者は「中立主義」についても論じていた。著者によれば、中立主義とは敵と味方の間に存在する硬直した壁を取り払い、その空間に「妥協」という政治的果実を結晶させようとする不断の努力をいうのだが、この前途多難な中立主義こそが当時の革新政党ないし革新日本が目指すべき理想主義的な進路であったと振り返るのである。

爾来40有余年、日米同盟の鉄鎖で自らを縛りつけ、いまなおじぶん自身を定位させえず、ために他者他国からの自由と自立を獲得できないまま、いたずらにナショナリズムの炎を胸に熱く燃やし始めたこの国にとって、萩原流中立主義など夢のまた夢というべきだろうか。

私はこの頃の日本がますます嫌な國になってきたように感じられてならない。著者がいうように、わが日本国憲法の第22条には、国籍離脱の自由がうたわれている。私たちのほとんど大部分は、日本人であることを自覚的に選択したわけではない。出生という偶然によって日本人であることを余儀なくされているケースが大半ではないだろうか。

そこでこの際私たちの未来には、3つの自由の地平が広がっていると考えてもいいだろう。ひとつはいろいろあっても、なんとかやりくり我慢して改めてこの国に留まることである。二つ目は、かつて幕末の志士が藩という小国を飛び出したように断固国外のどこかへ出て行くことである。そして最後に、国内亡命という第三の道もあるのではないだろうか。

いずれにせよ、改めて日本を選びなおしてみたいと思う今日この頃である。

♪大阪の喫茶店の入口で接吻していたロダンの彫刻 茫洋

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