Monday, May 19, 2008

鎌倉の1000年

鎌倉ちょっと不思議な物語123回 十二所物語その2

十二所の上古の事蹟ははっきりしないが、奈良時代の聖武天皇の御世に藤原鎌足の子孫染谷太郎太夫時定がここ鎌倉に居住し、のちに平貞盛の孫上総介直方がここに住み、源頼義が相模守となってこの地に住した。その子の直方が女を娶って道家を産み、その後子孫がこの地に代々住むようになり、鎌倉は源家相伝の地となったのである。

下って平治元年1159年に源義朝が相模守となり、治承4年1180年に頼朝が大蔵に幕府を開いたが、元弘3年1333年には新田義貞の手で瓦解して朝廷に返上、建武2年1335年には足利尊氏がこの地を占拠して、正平6年1351年に足利基氏の領地となるのだが、彼の幕府は浄明寺と十二所の中間地点にあった。自宅から歩いて数分の距離である。

その後数世紀にわたって関東方の領地となった鎌倉は、後には山の内上杉氏に属し、さらには三浦義同の治下となり、義同が小田原の北条早雲に滅ぼされてからは北条氏(後北条)の支配下に置かれることとなった。

 天正18年1590年、その北条氏が豊臣秀吉に滅ぼされてからは徳川家康の領地になったことは関東地方と同断である。


階段を怒涛のように駆け下りる息子のせいで我が家が揺れる 茫洋

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