ふあっちょん幻論第20回&遥かな昔、遠い所で第71回
ビルマではサイクロン、中国では四川大地震で多数の死傷者が出ている。亡くなられた方々には謹んで哀悼の意を表すとともに、なんとか一人でも多くの人命が救われるようにと祈っている。そして狭量で独善的な政治権力が、自己保身のために国際的な救助の手を拒否して自国民を人身御供にすることだけはやめてほしいと願わずにはいられない。
地震や災害がなくとも人間はどんどん死んでいく。そして人の死は生きているものになにがしかの思いを形見のように届けながら冥界の彼方へと没していく。
昨日の夕刊にニコルのデザイナーの松田光弘さんが肝細胞ガンで亡くなられたという訃報が出ていたのを目にして、私ははしなくも松田さんの謦咳にただ一度だけ接したことがあったのを思いだした。
もう数十年も昔のこと、私が原宿にあった会社で広報活動を担当していたとき、突然「ミセス」という雑誌の編集長のHさんから電話がかかってきた。「今から5分後に松田さんからあなたに電話が入るからよく話を聞いてください」というので「分かりました」と答えて待っていると、すぐにニコルの松田さんから電話がかかってきた。やわらかくソフトなバリトンだった。
用件というのはちょっと風変わりで、当時私の大嫌いな読売巨人軍(だいたいスポーツ団体に軍隊の名前をつける人間の脳髄自体が狂っている)を解雇されたばかりのクロマティという三振ばかりしてぶんぶん黒丸みたいなアメリカ人の巨砲選手が、どういうわけだかファッションビジネスに関心があり、近くクロマティ・ブランド?を立ち上げるので、その相談に乗り、できたら協力してあげてほしい」というのであった。
そういうことなら専門家であるあなたの方がよほど適任であろうといいたかったが、これにはなにか事情もあるのだろうと思った私は、とりあえず松田さんの要望に応えてクロマティ氏に会うことになった。何を隠そう、当時の私はニコルのメンズのスーツが好きだったのである。
「ありがとう。じゃあ、よろしく」というすっかり肩の荷を降ろした氏の声を電話越しに耳にしたのが、それこそ一期一会、今生の別れとなったのだから、面白うてやがて哀しきは人生の常であろうか。
翌日ジェーン・マンスフィールド似の美人秘書を従え、アルマーニの高級スーツに身を包み意気揚々とわがプレスルームに乗り込んできたクロマティは想像以上の巨漢であったが、この国においてクロマティ・プレミアムブランドを成功させるのは至難の業であることを1時間半に渡って縷々私が説くと、黒い大男は額から玉のごとき大粒の汗を流し、時折諾諾と肯いつつ、最後には鄭重な謝辞と共に去っていった。
爾来幾星霜、ジェーンとクロマティの行方は、杳として知られない。
♪おそらくはカルバンクラインならむ香水を四囲に振りまく男を憎む 茫洋
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