鎌倉ちょっと不思議な物語91回
クリスマスイブイブの夜に義母と話していたら、彼女たちが昔住んでいた長谷の家は、映画監督の鈴木清順氏の旧宅だったというので驚いた。
そこは吉屋信子氏の斜め前にあって、私もある夏の日に一度だけ訪ねたことがあったが、いまは取り壊されてしまった。なんでも玄関までのアプローチが長く、前庭の左側に丈の高い竹が欝蒼と茂っており、蓋をした井戸があったような気がする。
義母の話では外側はおんぼろだが内部は広く、立派な茶室や映画の機材やフィルムの現像室など数多くの部屋があったそうだ。また鈴木監督が引っ越したばかりで郵便ポストには誰かからのラブレターが入っていたそうだが、どこに届けていいか分からないので結局行方不明になってしまったという。
後年あの傑作「ツイゴイネルワイゼン」でベルリン国際映画祭特別審査員賞に輝いた鈴木監督は、当時おそらく日活から解雇され仕事がなくなりつつあった時期だから、生活費に困って鎌倉の寓居を手放してしまったのだろう。
夜になると鼠が天井裏を走り回り、なんだか怪談じみた不気味な雰囲気をかもし出したというが、確かに真夏の昼なのに、長い廊下や納戸のあたりに暗き闇と中世鎌倉の地霊が棲みついていたような気がする。
鈴木監督の代表作には釈迦堂切通しや小町通りの奥にあるミルクホールなど鎌倉ゆかりの旧跡や隠れ家が登場するが、私は確か「ツイゴイネルワイゼン」で大楠道代が潜んでいた水の底のイメージは、この長谷の閉じられた秘密の井戸にあったのではないかと想像を逞しくしてしまった。
いずれにせよ監督の鎌倉滞在は彼の芸術に決定的な影響を与えたのである。
ところで私自身もこの海岸から遠からぬこの古びた家とその住人に大きな感銘を受け、その翌日生まれて初めてひとつの短歌を詠んだ。
♪鎌倉の海のほとりに庵ありて涼しき風のひがな吹きたり
当時私は神田鎌倉河岸のほとりにある小さな会社に勤務していたが、消費者から受けた苦情に対する謝罪文などを、「どうかご海容下さいませ」などと気どって書いて、それを総務のタイピストをしていた年配の小柄な女性に渡すと、彼女は「へええ、あんた若いのに海容なんて言葉をよく知ってるわねえ」と褒めてくれるのだった。
そこで歌が出来た翌日、早速彼女に私のそのつたない短歌を披露すると、彼女はしばらく考えてから「へえー、生まれて初めての歌にしては悪くないわね。でも最後の「たり」を「おり」にするともっといいわよ」という助言を受けた。
若く傲慢不遜だった私は、「いや、やっぱり「たり」がいいです」と言ってその場を立ち去った。それから間もなく、私はこの不可思議な趣のある旧家に住んでいた若い女性縁あって結ばれたが、その年配の小柄な女性が、俳人として知られる井戸みづえさんであることを知ったのはずいぶん後になってからのことだった。
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