Saturday, December 08, 2007

ある丹波の女性の物語 第30回 等々力

遥かな昔、遠い所で第52回

 父は私達の結婚に先立ち、園部の教会員の未亡人と再婚した。

 私の夫は水道橋にある統制会社につとめていたので、本郷などでは留守番をしてくれるならと、大きな家でも10円位で借りられたが、当時はもう疎開がはじまっており、安全な世田谷等々力に新居を構えた。六畳と四畳半に炊事場がついていて家賃40円であった。夫の月給80円也。家賃は綾部が負担してくれる事に決まった。

 等々力はオリンピックの開催地に予定されていた所だそうで、住居は万願寺玉川神社に近く、周囲には広々とした畑が広がっていた。近所には軍需会社の社長達の邸宅が並んでいたが、私達の隣組は同じような小さい家ばかり、組長さんの家だけは、信州のお殿様の執事だとかで、応接間もある立派な家で、品の良い老夫婦が住んでいた。

 綾部も主食には不自由になってはいたが、東京の食糧不足には閉口した。綾部から持ってきたものには限りがあり、馴染みの店は全くない、家の周囲は畑にかこまれてはいるが、どうして求めていいのやら。隣の奥さんに教えてもらい配給のお酒を手土産に、お芋や野菜を分けてもらう事にした。タンスに入れて持って来た衣類も、フル回転して食物に変わって行った。

東京空襲が近いと言う事で、庭に防空壕を堀り、空き地には大根等も作った。その頃は等々力にはガスも来ておらず、燃料不足で、夫は木場から一束ずつ材木の切れ端を運んでくれた。

銭湯も九品仏まで出掛けねばならなかった。等々力での楽しい思い出はあまりないが、近くの邸宅の垣根の殆どが沈丁花で、春まだ浅いうちから芳香を漂わせ、夜道を上がって来ると、むせぶような香りに包まれた。
夕焼けに空が染まる頃、万願寺さんの林に烏が群れて、やかましく鳴いた事等思い出す。


♪大雪の 降りたる朝なり 軒下に
 雀のさえづり 聞きてうれしも

♪次々と おとないくれし 子等の顔
 やがては涙の 中に浮かびぬ

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