Sunday, December 09, 2007

宮本常一著「なつかしい話」を読む

照る日曇る日 第76回

民俗学者の宮本常一が生前行なったいくつかの対談のアンソロジーでどこからでも読めて、どれも題名どおりに懐かしい気分につつまれるいわゆるひとつの「珠玉の名篇」である。

とりわけ面白いのは歴史家の和歌森太郎との幽霊対談で、実際には会ったことのない2人が仮想対談する仕組みもユニークだが、中身も面白い。

和歌森が網野と同様、いやもっと昔から化外の民や海民の重要性に言及しているところや、宮本が指摘する「山人の海民化」も興味深い。例えば古代のカモ部は、当初京都賀茂神社や大和葛城などの山中に住んでいたが、次第に瀬戸内海の島々などに降りてきたとか、長野県安曇の山民が滋賀県の安曇川などに降りていって海人部を宰領するようになったという。

「中世雑談」における宮本の「昭和25年の対馬では時計もなく、1日2食で、1日の時間としては朝と夜があるだけで昼がなかった」、時間の経過におそろしく無頓着だったという話も興味深い。わが国の大事な祭りはすべて夜であり、たいまつを焚き、夜を徹して行なわれるお神楽が終わって白々と夜が明けてくるその瞬間に、祖先は一期一会という言葉を実感したのではないかと説くのである。

さらに半農半漁の村でも漁業の民家はすべて田の字ではなく並列型であり、農業はすべて引き戸であるのに対して、後者ではしとみ戸であると指摘し、「衰弱した漁村」と見えるものもその実態は「陸上がりした漁業」であることを、その漁民の間取りに即して具体的に説明しているところには、柳田國男などの前頭葉偏重学者にはないきめ細かな観察と生きた思索の真価がよく示されている。

著者によれば、昔は夕方のいわゆる逢魔が時にはお互いに必ず挨拶をする慣わしがあった。もしも向こうがこちらの挨拶に答えてくれなければ、それは魔物だとされたそうだが、私などは最近朝比奈の峠で多くの魔物に遭遇したことになる。

では最後に、本書で紹介されているなつかしい昔話から、福島県の出稼ぎのをひとつ。

かかあが言うには、「おトト、おまえさん出稼ぎに行くともう半年も会わねいから」というてね朝っぱらから重なった。そしたらそこへ子供が出てきて「おトト、おカカ何してるんだて」。それでおカカ「バカ、トトは出稼ぎいぐんだいや。おまえはあっちいってろ」「あっちいってい、いうたってこんなせまいとこ、どこいくわな」「ニワトリ小屋いってえい」。子供はニワトリ小屋いった。そしたらニワトリもまたチョコンと重なっちもうた。子供たまげてとんできて「「トト、カカ、ニワトリも出稼ぎに行く!」一期ブラーンとさがった。

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