Tuesday, December 11, 2007

ある丹波の女性の物語 第32回 継母

遥かな昔、遠い所で第54回

 私は翌年10月出産と分かり、夫を東京に残し綾部へ帰った。9月はじめと思う。

綾部へ帰れば食糧は何とでもなると安心していた私は、留守中の夫の為に、私の移動申告をしないで帰ってきたのであるが、帰る早々お米の配給がもらえぬと継母に非難され、ひどく困った辛い思い出がある。

なくなった母なら、古い馴染みを通して食糧の確保も容易であったろうが、来たての継母にはむずかしかったにちがいない。産み月せまった私にはどうしょうもなく、片身せまくみじめな思いをした。我が家でこんな思いをと情けなかった。

其の後、父も食糧係りとなり色々カバーしてくれたが、父をめぐる子と後妻との関係は、今まで経験した事のない感情だけに、そのむずかしさを日毎に痛感した。

 昭和19年10月16日、長男が誕生した。秋祭りの翌日早朝の事である。父の喜びはたとえようもなかった。私の3人の子供のうち一番華奢な体つきは胎内での食糧不足で致し方ないが、髪が長くて、女の子のような可愛らしい子であった。

 夫は交通事情も大変むづかしくなっていたのに、等々力で2人で作った大きい大根を土産に帰ってきてくれた。


♪くちなしの うつむき匂う そのさがを
 ゆかしと思ふ ともしと思ふ
                    (注「ともし」は面白いの意。)

♪おさな去り こころうつろに 夜も過ぎて
 くちなし匂う 朝を迎うる

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