Sunday, December 02, 2007

ある丹波の女性の物語 第25回 京都へ

遥かな昔、遠い所で第47回


 翌昭和13年春、綾部高女を卒業した私は、京都府立第一高等女学校補習科に入学した。
 
 一学期は銀閣寺近くの寄宿舎に入った。綾部からは薬屋さんの娘さんと二人であった。朝寝坊すると電車では間に合わなくなり、荒神口まで35銭也のタクシーをよく利用した。5人も乗れば市電並みであった。

 「柳橋をこきまぜて都ぞ春の錦なりけり」
春の京阪沿線の鴨川ぞいは和歌の通りに美しく彩られる。私は一寸心にいたみを覚えつつも京阪電車に乗って、実母の待つ桃山へ心はづむ思いで出かけたものだった。

 学校の選択科目には、裁縫、英語、数学、国語があった。私は無条件で国語をえらんだ。
私達4人は源氏物語、枕草子、万葉集などを膝を交えて学んだ。私は紫式部より清少納言に魅力を感じた。万葉集の大らかさに感動し、自然、明星の華やかさより、アララギ派が好きであった。墨汁一滴も輪読した。今の私には、明星の歌にも心ひかれるものが沢山ある。年を重ねた故であろう。

講師として京大から美術の源先生、心理学の岡本先生が出講されたがいずれも、ていねいな講義であった。法隆寺へも案内していただいた。玉虫の厨子はハッキリ覚えているのに、うす暗かった故か壁画が思い出せぬ。もったいないようなあの機会に、どうしてもっと真剣に学ばなかったのかと悔やまれる。

 戦局と共に軍の衿章作りの奉仕や、炊き出しの訓練も行われた。2学期からは父の紫竹のネクタイ工場から通う事になった。
 秋には九州への修学旅行があったが、母の病気の為私は綾部へ帰った。母は追々弱って行くのである。

♪築山の 千両の実の 色づきぬ
 種子より育てし ななとせを経て

♪手折らんと してはまよいぬ 千両の
 はじめてつけし あかき実なれば

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