Friday, December 21, 2007

ある丹波の女性の物語 第35回 虚弱体質

遥かな昔、遠い所で第57回

 早々に復員が始まり、内地に配属されていた近所の人達も帰って来た。
暫くしてガダルカナルで戦死した番頭の兼さんの遺骨も帰って来た。父が引き取りに行き、夜おそく提灯をつけて兼さんの自宅に遺骨は帰った。

出征時おなかにいた末の子は、白木の箱を持ち先頭に立っていた私の父を見て、「お父ちゃん、お父ちゃん」と喜び、みんなの涙をさそった。真夏の事で供える花もないままに、私の庭の秋海棠の花を手折って供えた。秋海棠は、そんな想い出と共に悲しい花となった。

 うちでは夫には召集もなく、みんな揃って終戦を迎える事が出来たが、遠慮のない父は、「うちの輸入品は弱虫ばかりで困る」と、母や夫のことをなげいた。言われる当人達はそれ以上に、この上なく辛い事であったろうが、二人とも呼吸器が弱く、とても労働の出来る身体ではなかった。

私達も頑強ではなかったが、力を合わせて野菜作りにはげんだ。豆の季節には、豆の中にお米がまじっているような御飯、夏ならお芋や南瓜であった。戸棚にごろごろしている南瓜を見ると力強かったし、土間に拡げられたじゃが芋、さつまいもを見ると、心がゆたかになるような気がした。

 父は昔の知り合いを訪ねて、商品の残り物を食品に換えて来てくれたり、以前のお手伝いさんは、私の派手な着物類は農家の娘さん用に喜ばれると、お米と交換してくれたりした。 

水ひきの花枯れ 虫の音もさみし
 ふじばかま咲き 秋深まりぬ 愛子

ニトロ持ち ポカリスエット コーヒーあめ
 袋につめて 彼岸まゐりに 愛子

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