Wednesday, December 05, 2007

ある丹波の女性の物語 第27回 母の死

遥かな昔、遠い所で第49回

 昭和16年3月、寒い日であったが父は丹陽基督教会の代表として、綾部警察署に留置された。

母は病床にあったが、みんなが私を力づけてくれた。毎日食事を差し入れに行くお手伝いさんの「おはようございます。」と言う大きな声に、どれほど勇気づけられたことかと父は後日話した。

 「天皇は神である」と言えと毎日強要されたそうである。父は牧師や信者が拷問に会い多数獄死しているので、万一の時の死をも覚悟したそうであるが、一週間程で釈放された。

 そのうち、主食を始めとして食料品が切符制となり、さらに金属回収も始まり、火鉢、銅の屋根、お墓の扉まで供出した。

 昭和17年9月10日朝、番頭の兼さんが出征した。兼さんは出発の直前まで母の枕元で別れを惜しみ、母も、もう若くない番頭さんの身を案じ共に泣いた。

 父が二十連隊まで送っていった留守に母は息を引き取った。看護婦さんが座をはずし私が1人付き添っている時であった。

 「9月10日風静かにして姉ゆきぬ」
母の弟儀三郎は色々のおもいと共に、棺の中にこの句を入れた。体中の腫れがすっかりひき、美しい母の顔に戻っていた。数えて58歳であった。

 両親、夫、弟妹、家族全員に力おしみなくつかえた一生であった。かつての店員、お手伝いさん達も心からその死をいたんだ。
 優しい母であった。


♪陽ささねど 四尾の峰は 姿見せ
 今日のひとひは 晴れとなるらし 

♪由良川の 散歩帰りに 摘みてこし
 孫の手にせる いぬふぐりの花

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