遥かな昔、遠い所で第51回
父はその帰路、谷中の伯父の家へ連れて行ってくれた。そこは公然の秘密にはなっていたが、私の生母の兄の家であり、母の実家であった。
上野の下町から坂を上がって行くと全くの住宅地があった。玄関をあけると「ガラン、ガラン」と大きな音がして驚いた。玄関の足元から各種の時計や美術品がいっぱいに散らばって並べてあった。
まるで骨董屋である。洋服屋と聞いていたが、まるきりそれらしいものは見当たらぬ。よくは分からぬが、ウェストミンスターと言うのか大きな時計が5分とか10分おきに、ちがった響きのある音で時をきざむので、その美しい音色には魅せられた。
広い庭は草茫々。小川が流れ、陶器を焼く窯があった。手彫りのテーブルの上に手焼きの食器が並べられ、そばをご馳走になった。
伯父いわく「この戦争は必ず負けますよ。われわれはどうしても生きのびなければならない。私は洋服屋は止めましたが舶来の生地をシッカリ買いこみました。食料は勿論、ビタミン等の薬品類、それにダイヤ等も。あなたも有金全部払戻して必需品を買い込みなさい。」
私達はこの怪気炎にまかれて帰宅した。なかなかその真似事も出来なかったが、これが伯父と姪との最初で最後の出会いであった。
♪今ひとたび あたえられし 我が命
無駄にはすまじと 思う比頃
注 谷中の伯父とは上口愚朗(作次郎)。明治25年谷中生まれ。小学卆後宮内省御用の大谷洋服店に弟子入り大正末期に「超流行上口中等洋服店」開店。江戸時代の大名時計の収集家としても知られる。旧邸跡地に現在大名時計博物館がある。
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