鎌倉ちょっと不思議な物語58回&勝手に建築観光・第14回
鎌倉市では現在大船駅東口市街地再開発事業を推進している。
駅周辺を再開発して商業、居住、交流機能を促進しようというものだが、そのなかで24階建て高さ90mの高層ビルを建てようとして市議会の多数派の反対にあい、予算案が否決されたので大慌て。
私のところにも市の拠点整備部再開発課というところからアンケート用紙が送られてきた。改めて市民の皆様のご意見を伺って再出発したいということなのだろう。
この街の市長は石渡徳一という人であるが、彼は最近建築業者のおおっぴらな違法行為にたいして認可の取り消しをしなかったというので住民や市議たちの反発にあい、その開発業者寄りの姿勢が、今回の予算案否決の原因になったといわれている。
元サントリー社員の彼は、私のオタマジャクシ保全や朝比奈周辺の環境汚染や産廃問題などへの回答では表向きは環境問題に理解があるように見えたが、実際はそうでもなかったようなのだ。
それはともかく、鎌倉の玄関口にあたる大船駅前の高層ビルは大変好ましくない。
京都や奈良や銀座でも高等観光地の最大の敵は高層ビルである。これあるために眺望がさえぎられ、景観が破壊される。
そのことは六本木や汐留だけでなく、全国の市街地、商業地で国民の皆さんがよくご存知のはずだ。
大船地区が鎌倉の一員であるかぎりは、鎌倉本体と同様の環境規制に従うべきだ。90メートルなんて論外である。
それにこの大船地区は、大正時代にあの有名な都市計画、大船田園都市が構想され実践された由緒ある場所なのである。
大正10年、東京渡辺銀行の渡辺六郎は、当時イギリスで生れていた田園都市構想に倣って、一面の田んぼと湿地の大船の地に、大船田園都市株式会社を興し、新鎌倉として分譲を開始した。
大船駅東口からかつて松竹大船撮影所があった駅東口一帯の土地はあの田園調布と同様にレンガ敷きの碁盤目の道路、上下水道、病院、公園などが整備されるという当時としては先進的な構想の町づくりであったが、残念ながら関東大震災や昭和初期の不景気などでこの素晴らしい都市計画は頓挫してしまった。
石渡市長は、どうしてこの緑と平和な市民生活の共存という先進的な構想を、現代の、現地において生かそうとしないのか?
鎌倉全市をユネスコの世界遺産に指定をめざし、歴史遺産を大切にし、その教訓に学ぼうと宣言している市長なら、まずは大正・昭和初期の先人の智恵に深く思いを致してほしいものである。
ちなみに同地区には大船田園都市株式会社が開発・分譲した小池邸と隣家の対馬邸の2軒だけが現存している。
山小屋(シャレ)風の玄関ポーチを中心とした北側正面と、複雑に重なり合うフランス瓦葺きの屋根は、大谷石の門柱や垣の石柱、前庭の樹木とともに大変魅力的な景観を形成している。(写真)
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