子供たちは運動会のような、いや北朝鮮のマスゲームのようなものを、何者かに強制されて行っていた。
彼らは、梯子を伝って窓から大きな家の2階の部分にはいりこみ、そこから屋根に上り、指導者の合図で一斉に1階に向かって飛び降りるのだった。
1階といっても仕切りは無く、下には別のグループの子供たちが築地の市場に並べられたマグロのように無数に横たわっている。だから下の子供たちは、上の子供たちが飛び降りてくるまでに退去しないといけない。もしも速やかに退去しなければ現場は大混乱に陥り、怪我をする子も現れるだろう。
そう思いながら手に汗を握って見つめている私の目の前で、案の定事故が起こった。
たった一人落下する集団から逃げ遅れた子どもが、苦痛に顔をゆがめながら泣き出した。顔と、そして眼から血が流れている。それは知的障碍のある私の子どもだった。
私は全速力でその場に駆けつけたが、子どもは既にぐったりとしている。たぶんもう息はないだろう。
私は子どもの担任でこのマスゲームの責任者でもある体育の教師に詰め寄って、無我夢中で彼奴の首を絞めた。
教師は減点パパにそっくりの顔つきだった。自分の責任であることが分かっていたのだろう、青白い顔をしていたが、私が全力で首を絞め続けたのでどんどん血の気が引いてゆき、とうとう紙のようになった。私は「紙のようになる」という白さの比喩のほんとうの意味を始めて知った、と思った。
しかし私は、けっして減点パパを許しはしなかった。私は死んだ息子の仇を討たねばならなかった。
突然背後でフラッシュが光った。誰かがこの光景を撮影しているらしい。
振り返ると、どこかの広告で見覚えのある長身の外国人が、三脚の上でカメラを構えていた。
その男は最近東京湾岸の移動テントでいかがわしい写真展を開いていて、芸術の何たるかを理解しない無知な人々をまるでディズニーランドか木下サーカスのように引き寄せているあやしい男だった。
ひざまずいた巨大なインド象の前で、小さな少年が読書をしている。そんな見え透いた大衆受けを狙った写真ばかりを撮っているフォニーなクリエーターだ。
私は、減点パパの首からこわばった両手をやっと振り放すと、ゆっくりその長身のカメラマンに向かっていた。血まみれの両の手をタラバガニのように動かしながら……。
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