Tuesday, May 15, 2007

秋山駿著「私小説という人生」を読む

降っても照っても第14回

「自分のことをもう一度行き直してみよう」という年齢に達した著者が、眦をけっして向き合った日本文学の名作再読記であるが、その熱と意欲の高さに大きな刺激を受けた。

扱われているのは、田山花袋、岩野泡鳴、二葉亭四迷、樋口一葉、島崎藤村、正宗白鳥の6名で、彼らの代表作を肴にして作者は縦横無尽の独断と偏見を繰り広げている。

著者の力点は従来とかく軽視されてきた田山花袋の「蒲団」など自然主義作家たちの作品の再評価に置かれているようだ。

「人間の真実を剔出し、人生の真相を視る。それが日本の自然主義文学の独特さである」と著者は結論づけるのだが、しかしそういう定義なら、漱石も鴎外も荷風も谷崎も三島も両村上もなにもかもが同じ自然派の範疇に入ってしまうのではないだろうか? 

また著者が私小説を愛好する評論家であるにしても「私小説という人生」というタイトルは現代の日本語としては少しく奇異ではないだろうか? 

もちろん本書は文学論考ではない。

しかし著者は小林秀雄の文章に影響を受けた人らしく、例えば高橋源一郎や保坂和志などが文学を論じる際の繊細な手つきにくらべると論理の組み立てがいささか粗雑で時代がかっているように思われる。

そして独特の啖呵が、懐かしくも古めかしく感じられる。

もっともこれは私の頭が粗雑であるから、著者の立論についていけないのかもしれないが、何度読んでも「要するに何を言いたいのか」が理解できない個所があった。恐らく人間としての修行がまだまだ足らないのであろう。

通読してもっとも心に残ったのは、島崎藤村の項である。私は著者によって初めて藤村の随筆集の素晴らしさを知ることができた。藤村は本邦始まって以来のドビュッシーの愛好家であった。

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